ご家族の方へ

家族の人も後悔しないために

投稿日:2020年5月29日 更新日:

命を取り留めるのはドクターの責務だが、そこからの機能回復は患者と家族と二人三脚です

僕の親戚の叔父さんは、僕が脳幹出血をする五年ほど前に脳出血を発症し、左半身麻痺してしまいました。当時の僕はまだ脳幹出血を発症していなかっため。叔父さんと叔母さんの気持ちやリハビリに対しての思いは語ることが出来ません。

ただ叔父さんは「リハビリなんかしても無駄だ!」と、リバビリを積極的にやらなかったそうです。叔母さんもそこまで強く「リハビリしよう」とは言わず、「本人の意思を尊重した」そのように言っていました。

結果的には左半身の麻痺はひとつも改善することなく、重たい後遺症を抱えるようになりました。叔父さんはベッドから起き上がるのも介護が必要になりました。叔母さんはそれでも一言も苦言を言うことなく介護をしていました。

だけど叔父さんは大腸がんになって、その五年後に亡くなってしまいました。

「子供二人を独立させ、さぁこれから旅行に行って人生を満喫したかったのに!ちくしょう!!」
これが伯父さんが死ぬ間際に言ったことでした。たまらなく胸が痛かなりました。

叔父さんの葬儀の場で叔母さんが僕にぼそっと「脳出血破傷した時にもっとリバビリをさせておいたら良かった。もっとリバビリをさせておいたら、信也みたいに回復したかも知れない、、、」と悔しているとも言っていました。

もしかすると、叔父さんのようにリバビリを拒否するが少なからずいるかもしれません。けれども、脳卒中を発症して命をとりとめたら、やっぱりやれるだけリバビリをして身体を元に戻さないといけないと思います。

患者本人ははもちろん、患者さんをサポートする方も後悔しないように、「あのときもっとやっていれば」と後悔しないように
最初から無理だと投げ出さずにリハビリをして欲しいと思います。

脳出血や脳梗塞でダメージを受けてしまった
身体的ダメージは、リハビリでしか治らないのだから…

 

患者は「隣にいてくれるだけ」で、俄然生きる気力が湧いてくる

僕が入院していたのは大阪府でしたが、県外を超えてたくさんの人がわざわざ僕の様子を見に来てくれました。中にはスリランカから12時間ほどかけて来てくれた方もいました。

僕は面会に来てもらうという経験から学んだことは「そこへ行く」という行為自体が、僕に会って喜んでくれようが、泣いてくれようが関係なく、「僕のために貴重な時間を使ってわざわざ来てくれたという感謝につきる」というものでした。

この経験から、もし「自分にとって大切な人がピンチになったとき」には、何ができるか分からなくても「とにかくすぐに駆け付けよう」と決めました。

人は見えるものだけを信じ、目に見えないものをなかなか信じることはできません。
ただ、その場の空気を一緒に共有するだけで、生きる気力が湧いてくるんです。
「大切にされている」「勇気が湧いてくる」「頑張ろう」と思えるものなのです。

一緒にいてくれる人が「1人いるだけ」でも、本当に幸せなのです。