脳卒中克服レポート

この度は、レポートのお申込みいただき誠にありがとうございました。

このレポートは、生存率1%と言われた脳幹出血と全ての言葉を奪い去った脳梗塞を乗り越えた患者本人が綴った生の体験談です。

僕が脳幹出血と脳梗塞を乗り越えるうえで気づいたこと、克服のヒントになるのではないかと思ったことを、余すことなく書き綴りました。

今まさに、脳卒中の後遺症や症状で悩まれている患者様、そして患者を支えているご家族の方へ、少しでもお役に立てればと思いの元、作成したものになります。

脳卒中の回復の度合いは、脳卒中を発症した場所やダメージを受けた範囲、患者自身の基礎体力、年齢、性別などによって変わってくる場合もあるとされています。

しかし、もともと体力があったわけではない、平均的な人間の僕にでも、生存率1%と家族に言われていた脳幹出血と、右脳の約半分近くを損傷してしまった脳梗塞を乗り越えることができたのです。

確かに発症したのが30代前半だったのも回復できた一因になったとは思いますが、それは本当に一因であって、それ以上に回復の要因になったことがあります。このレポートでは、脳卒中を乗り越えるため考え方、リハビリの方法やその量について、余すことなく書き綴異っていますので、かなりの分量となってしまいました。

しかし、どの内容も脳卒中を乗り越えるた患者自身の体験談となりますので、有益な情報になると考えていますので、理解できるまで繰り返し読んでいただければと思います。

▼発症直後の僕
2011/01/20
ICUから重篤部屋へ

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大部屋に移動

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家族と妻との記念撮影

今はコロナ禍で行っていませんが、全国の病院で僕の体験を伝える講演会をしています。

↓講演会の様子
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それでは、まず簡単に自己紹介を含めて僕の病歴についてお話したいと思います。

 
 

第一章:闘病記録

・僕が経験した脳の病気について

僕は、2011年(当時28歳)に、脳動静脈奇形破裂(AVM)による脳幹出血(延髄出血)を発症し、その2年後の脳血管撮影検査中に脳梗塞を発症した経験をもちます。

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脳幹出血を発症した際には、昏睡状態となり自分の力で呼吸をすることすらできなくなってしまいました。医師からは「生存率 1パーセント」と言われており、本当にいつ死んでもおかしくない状態でしたが、奇跡的に一命を取り止め、発症前とほとんど変わらないまでに回復することができました。

しかし、その2年後にカテーテルを使用しての脳血管撮影検査を行いますが、血栓が脳に飛んでしまったことによって、脳梗塞を発症してしまいました。そのときは右脳の役半分を損傷し、失語症と視野欠損の障害を患いました。

ただ、経験者は強いです。過去の経験からどんなリハビリをすれば良いのかが分かっていたので、わずか一カ月後には社会復帰を果たすことができました。

このように短期間に2度も脳の病気を患いながらも、ほぼ後遺症を残すことなく回復できた人間は、世界的に見ても稀な存在だと思います。

ちなみに今まで僕が経験した障害は下記になりますが、そのすべてを乗り越えることができました。

・嚥下障害・意識障害・左半身麻痺(手足のマヒ)・左手の痺れ・右半身の感覚障害(温度)・排尿障害・言語障害,高次脳機能障・視野障害,斜視・ふらつき・高次脳機能障害(すぐにかっとなる)・めまい・頭痛・性欲が無くなった

次に脳幹出血と脳梗塞を発症したときの様子を再現して書きましたので、ご覧になってください。

 

【僕が経験した1回目の脳の病気】脳動静脈奇形破裂による脳幹出血

2011年1月20日

僕、上西信也は大阪府在住の27歳。
システムエンジニアとして、営業からシステムの設計、プログラミングをしながら忙しくも充実した日々を過ごしていました。ちょうどその頃、2年ほど付き合った彼女(以降妻)と結婚することを決め、結婚式場探しをしていました。

そして、いくつかの式場を巡ったうち、大阪の難波にある結婚式場が、立地も条件も良かったので大安の日で仮予約をしました。その日は遅くなったので、ファミレスで夕食をとり、結婚式に向けて誰を呼ぼうか、ドレスやお花、料理はどのグレードにしようか。なんておそらく歴代の結婚式をあげてきた人たちと同じような会話をしていたと思います。

けれども、僕たちは計画通りいかなくなってしまったのです。なぜなら、その会話が終わった6時間後に、僕は脳動静脈奇形破裂(AVM)による脳幹出血を発症してしまうからです。

・脳幹出血発症

帰宅するとすでに日付は変わっていました。翌日から仕事でしたが、結婚式の仮予約をしたあとでしたので、若干興奮状態にあり簡単には寝れそうにないなと感じていたので、睡眠薬代わりに赤ワインを飲んで寝ようと考えました。

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何口か飲んでいるうちに良い感じに眠気が出てきました。

「ふぁー。これで今日もぐっすりと寝むれそうだぁ。」

そう思ったとき、急に風邪のような倦怠感がでてきました。

ですが、ちょうどその時は1月だったので「寒い中をずっと歩いていたから風邪でも引いたのかな?」と、特に心配することなく再度ベッドに入りました。

しかし、容体は分刻みで悪くなっていきます。そしてついには、吐き気もしてきたので、ベッドから降りてトイレに行こうとするんですが、平衡感覚がなくなったのか、壁伝いにしか歩けなくなっていたのです。

「これは悪酒にあたってしまったな」と赤ワインを飲んだことを後悔しました。

その後やっとの思いでトイレに辿り着きますが、とくに嘔吐することもなかったので、再度ベッドに入ります。

ですが、体調はさらに悪化していき、うだされるようになってきます。そして夢なのか覚醒してしまったのかわかりませんが「斧を持った死神が僕を切りつけたのです!」

「ズバッ!」

その瞬間、体に雷が落ちたような衝撃が走り、手足が硬直し始めました(まるで感電しているような感覚でした)。

一瞬でこれはただ事ではない!ことを察しました。幸い当時は、実家暮らしでしたので、隣の部屋にいる母に携帯で助けを求めます。

母が眠たい目をこすりながら「どうしたの?」と聞き、僕は「ただ事ではない、すぐに救急車を呼んで!」と母に伝えます。

母は訳も分からず、救急車を呼んでくれました。十分ほどすると遠くの方から、救急車のサイレンの音が聞こえ始めます。

ダダダダダっと救急隊員が入ってきて、「どうしたのですか?大丈夫ですか?」と話かけてくれます。

僕は「いや、ちょっと赤ワインを飲んでから・・・」と伝えようとするのですが、すでに呂律が回っていなくて何を喋っているのか伝わりません。

すると、救急隊員は慣れた手つきで僕の後頭部を触り「おそらく脳出血ですね。すぐに搬送します」と一言。

僕はその一言で、一瞬にして頭が真っ白になってしまいました。

夢であって欲しい、夢であって欲しいと願いますが、残念ながら夢ではありません。

・脳が壊れていく

もうこの時点で、僕の体は僕の意志通りに動かなくなっていました。少しでも腕を動かそうとするなら、天井めがけて腕が上がってしまったり。足も自分の意思とは違う方向に動いてしまうのです。

歩くことはおろか、立ち上がることすらできなくなっていました。しかたなく、救急隊員に、抱き抱えられるように担架に乗せてもらいます。

救急車に乗せられる前にちょうど夜空がぱっと見えました。

「あー、この星空を見ることができるのもこれで最後か・・・」と悲しくなったのを覚えています。

救急車に乗せられるやいなや、酸素マスクを口に当てられました。搬送先の病院はすでに決まっていたようで、すぐにサイレンを鳴らして走り始めます。車が走るたびに揺れますが、その揺れが僕の脳をさらに壊していきます。

突如、ダンプカーに踏まれたかのような強烈な頭痛が僕を襲いました。そして、心臓が破裂するほど鼓動しはじめ、目もグルグルと回りはじめました。さらに体が燃えるように熱くなってきます。酸素マスクを当てられているはずなのに、ぜんぜん酸素を吸うこともできなくなり意識が遠のいてきました。

救急隊員にもう駄目だと目で合図を送ると、ペンライトを目に当てて瞳孔を確認しはじめました。医療機器があちこちで警告音を発しているのが聞こえます。

「もう限界だ。これ以上は持たない・・・」

ふと隣を見ると、悲痛なまなざしで母が僕を見ていて、僕の手を握り締めながら、「信也!信也!信也!」と名前を言っているのがかすかに聞こえていました。

でも、僕は手を挙げることも、うなずくこともできなくなっていました。
僕は母に「ごめんよ。子供が先に逝くなんて、なんて親不孝な子供なんだろうね。今までありがとう・・・」そう言い残して意識を失ってしまいました。

その時の様子を母がメモしてくれていました

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・社会復帰は絶望的

それから2週間ほどは昏睡状態だったため、母や妻から聞いた話を元に書きます。

僕が運ばれた病院は隣町の中規模の町病院。CT画像検査の結果、クモ膜下出血との診断をされたようです。それと同時に「ウチの病院では処置できない」とも言われ、より大きな病院への転院を勧められたそうです。

結局、発症から6時間ほどは何も処置できずにいたことになります。また病院から病院へ救急車に乗って転院です。

 

病名判明-脳動静脈奇形破裂(AVM)

「病名がわかりました。これから説明しますので、お母さん、奥さんは診察室にお入りください」と転院先の主治医(後の命の恩人)が言いました。

「結論から言いますと、息子さんは、クモ膜下出血ではありませんでした。」

クモ膜下出血=1番最悪なもの

そう思っていた母と妻だったので、クモ膜下出血でないことを知り、母と妻は少しだけほっとしたようです。

しかし、主治医は間髪いれず
「クモ膜下出血ではありませんでしたが、安心は一切できません。息子さんは脳動静脈奇形破裂による脳幹出血です。脳幹出血は、クモ膜下出血と同等、もしくはそれ以上に危険な病気です」

「命が助かるだけでも幸いだと思ってください。ですから、ベッドから起き上がることはおろか、家に帰ることは、非常に難しいとこになるでしょう。後々は施設での生活になることも想定してください。」

このような絶望的な説明を何度も聞かされたようです。妻は、相当なショックを受けて泣き崩れてしまったそうです。

・妻のお母さんの一言

「一生植物人間かもしれない。そんな人と結婚。どうしたらいいの」

そんな妻に対して、妻のお母さんは、「何言ってるの!婚約を決めた人でしょう!私だったらずっと一緒にいるけどな!」と一喝したそうです。

お母さんは妻が高校生のときに離婚して、スナックのママとして働き、子供二人を育てた人です。苦労して育てたかわいい娘です。しかも僕との出会いは一回だけ。結婚したとしても植物人間のままの可能性が非常に高い状態です。

その後、お母さんの一言で、妻は毎日面会に来てくれました。

リハビリがうまくいかずに喧嘩をすることもありましたが、来てくれるたびに嬉しくて頑張ることができました。それもこれもお母さんの一言のおかげです。お母さんはお見舞いが一番の励みになると知っていて、だからそのように言ったのでしょうか。

真意は語ってくれませんが、本当に助かりました。

・脳幹出血発症当日の診断説明書

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・肺炎、そしてベッドからダイブ

脳幹出血発症から5日後、40度近くの高熱を手続けてしまいます。

医師の診断によると、痰が肺に入ってしまうことによる誤嚥性肺炎を発症しているとのこと。脳卒中を発症すると、僕のように肺炎になる人は少なくないそうです。

ただ、肺炎は、2011年に脳血管疾患を抜いて、日本人の死因の第3位になっています。ただでさえ脳幹出血で死にそうな思いをしたのに、肺炎にかかってしまうという、ダブルの辛さを経験することになったのです。

そしてあまりにもしんどさに、頭がおかしくなりベッドから降りてトイレに行こうとし始めたのです。
その当時の僕は左半身が麻痺している状態で、かつ寝たきり状態での生活が続いていたので、筋力もだいぶ落ちていました。

ベッドの手すりをよじ登るようにして降りようとしたとき、僕はまるでベッドからダイブするような形で落下してしまったのでした。

「ドスン!」

ものすごい落下音と、人工呼吸器が外れたことにる警告音が鳴り響きました。

異変に気付いた看護師さんが、すぐに走って駆けつけてくれました。

「今後は絶対このようなことはしないこと!」と、厳重注意され、両手両足に体を動かしすぎると警報がなる装置を装着されることとなったのでした。

 

【僕が経験した2回目の脳の病気】脳血管撮影検査中に脳梗塞になる

カテーテル血管撮影検査中に脳梗塞を発症!最も恐れていたことが起きてしまった!意識がある中で発症した脳梗塞!その恐怖は想像を絶するものでした

僕は2011年(当時28歳)に脳出血(脳幹出血)を発症しましたが、その原因は、脳幹部分に産まれつき血管の奇形があったようで、その奇形が破裂したことによる脳出血です。

ただ、僕の場合は脳幹出血(延髄出血)でしたので、開頭手術をすることはできませんでした。そのため、カテーテルによる手術が行われました。血管の奇形がある場所までカテーテルを潜らせ、医療用の瞬間接着剤を流し込み、血流を抑える手術をしてもらったのです。

しかし奇形は完全には消え去っておらず、微量ですが現在でも奇形部分に若干の血流が流れ込んでいます。
そのため、一年もしくは半年に一回の頻度で、MRIを用いて奇形部分の血流状態を確認することが必要、ということになりました。

ただ先ほども言いましたが、僕の奇形部分は脳幹にあります。そのためMRIを用いて撮像しても、ぼんやりとしか映らないのです。

・カテーテル検査の打診

そこで、主治医のドクターから「カテーテル検査をしない?」と提案がありました。

カテーテル検査とは:
脚の付け根部分からカテーテルを挿入し、奇形がみられる脳血管付近までカテーテルを潜り込ませていきます。そしてそこから造影剤を噴射しCTスキャンする検査方法で、MRIやCT、レントゲン検査よりもかなり鮮明に奇形部分の血流状態が把握できるため、非常に精度の高い検査結果が得られるのです。

ただし、このカテーテル検査には「数百回に一回の確率」で、脳梗塞などの合併症を発症するリスクがある、ということについても説明がありました。

もちろんカテーテル検査は強制ではありません。カテーテル検査を拒否してMRIのみの診察でも良いですよ、とも言われていたのですが、まだまだこの先長い将来のためにも一度詳しく様子を見ておこうと判断し、カテーテル検査をお願いすることにしました。

検査前日の晩御飯は、冗談半分で「もしかすると検査でトラブルが発生してしばらく飲食ができなくなるかもしれないね。最高に旨い焼肉でも食べに行こうか!」と妻に言い、高級焼肉店に焼肉を食べに行きました。

この時点では「まさか自分が医療事故に遭ってしまうとは、まさか自分が冗談で言ったことが現実になってしまうとは」なんて全く思ってもいませんでした。

でも、まさかの事故が発生し、僕は「数百回に一回」発生するという脳梗塞を発症してしまったのです。

・カテーテル検査当日

カテーテル検査当日の話に入ります。カテーテル検査といっても「検査」ですので比較的軽い気持ちで考えていたのですが、完全にドラマに出てくるような手術風景が目の前に広がっています。脚の付け根の動脈からカテーテルを入れるため、万一の際に血が飛び散らないように僕の周りは高さ二メートルほどのビニールで覆われました。

普段お世話になっているドクターは白衣のイメージしかなかったのに、この日は外科医の恰好をしています。しかも外科医二名体制、さらに助手数名……

検査にあたっては麻酔を実施しますが局部麻酔ですので、意識は明晰です。

カテーテル「検査」を気軽に考えていた僕は、目の前に広がるものものしい雰囲気にふれて、検査の恐怖でいっぱいになってしまいました。

もう逃げ出したい気分です。しかも、実際にカテーテル操作をしているのはまだ新米のドクター。主治医にいろいろとアドバイスを受けながら操作しています。

ディスプレイも10台くらい並んでいて、いま僕の身体のどこにカテーテルが入り込んでいるのかも分かります。あまりの緊張で、このときばかりは逃げ出したい、「幽体離脱してでも逃げていきたい」気持ちでいっぱいでした。

検査を開始して十分後。

「今、脳内にカテーテルが入りましたよ」と言う主治医の声がしました。
「僕の脳内にカテーテルが!(冷や汗)」

15分ほどかけて、造影剤を注入してのCTスキャンが行われました。

その時、「上西くーん、もうすぐ検査終わるからねー、今のところ奇形はちゃんと接着されているから大丈夫だよー、最後にもう一発別の角度から造影剤を入れて終わりにするからね~」という主治医の声が聞こえました。
僕は内心「あぁー、もう早く終わってくれー」とつぶやいていました。
ところで、さっきも言いましたが今回の検査でカテーテルを操作しているのは新米のドクターです。

主治医の声が聞こえた次の瞬間、頭に「ピキッ!」という音が鳴り響きました(たしかに鳴り響いた気がしました)。 頭のなかに音が鳴り響いてすぐに、ひどい頭痛を感じはじめました。

術後すぐに、「先生、頭が痛いです!」と主治医に告げました。僕がそう告げると、検査を担当したドクターも、周囲のスタッフも焦り気味になり、少し慌ただしい雰囲気になりました。

頭痛を感じながらも何気なく眼鏡をかけた僕は思わす「えっ、冗談でしょ!?」と口に出してしまいました。
「えっ?これ僕の眼鏡ですか…、全然ぼやけて見えないんですけど…」という状態だったのです。しかも、検査後は病棟に移るはずなのになぜかMRIの部屋に移されました。

MRIが終わってようやく僕の病室に移してもらったのですが、その頃にはもう頭が割れるほどのひどい痛みに襲われていました。
鎮痛剤を飲んで若干マシにはなったんですが、視力がおかしくなっている。ボンヤリとしか見えない、眼鏡をかけているのに「0.01」くらいの視力しかないんです。

その後、僕は別室に呼ばれました。

いつもの主治医が申し訳なさそうに、
「申し訳ない。脳梗塞を発症させてしまった。本当に申し訳ない。」

そのときの診断説明書です

2013年3月12日 カテーテル検査_説明書(脳梗塞発症)

2013年3月12日 カテーテル検査_説明書(脳梗塞発症)

しかも「どれくらい回復するかは様子をみてみないとわからない」って、、、

こう言われたとき、僕はものすごく悔しくて腹立たしい気持ちになりました。
僕の人生どうしてくれるの?視力がはっきりとしない状態で一生過ごさないといけないの?これからの長い人生、僕はどう過ごしていったらいいの?どうしてくれるの?

声にこそ出しませんでしたが、僕は内心そう思いました。とても悔しかったです。別室から病室のベッドに移りましたが、やっぱりまだ頭が痛い。頭痛に苦しんでいると、カテーテル検査を実際に担当した新米ドクターが来て、僕に謝罪しました。

「本当に申し訳ない」

僕は本当に腹が立ちました。正直、ドクターを怒鳴りつけて ぶんなぐりたい気持ちでした。

でもね、もう過ぎてしまったことはどうしようもない。いま僕の命があるのは主治医のおかげだし、新米ドクターもわざとやった訳じゃない。医療の発展には多少の犠牲は必要だと、自分で自分を納得させました。

そして「人を責めるのはやめよう。今日の出来事はまだ未熟な僕に神様が与えてくれた試練なんだ!だからまた僕が頑張って治せばいいんだ!」と、そう心に誓いました。

妻は僕が検査入院中に脳梗塞になってしまったことを知って仕事を途中で早退し、僕の病室に泣きながら飛んで来てくれました。いろいろ話している内に、僕ならまた復活してくれる、と妻も信じてくれたようで、僕の闘病生活を支えてくれると約束してくれました。

・視力力が落ちたことよりも、さらに重大な障害

「はぁー、また入院生活か~」と落ち込んでいた僕ですが、数時間経つと大分気持ちの整理もできてきました。

僕自身、自分でもすごい性格だと思っているのは「過ぎ去ったことは、あまりクヨクヨしない」というところです。
検査中に脳梗塞を発症してしまったその日の晩であっても、「さて、じゃあどうやって視力を回復させようか」と考えていたくらいですから。ただね、さすがにその晩に血の気を引くような出来事を経験しました。

それは、妻に「今日は来てくれてありがとう!」とメールを打とうとしたときです。普段から触っている携帯の文字が、なにがなんだかまったく分からなくなってしまったんです。

喋ったり、聞いたりすることはできるんですが、文字がまったく読めなくなったのです。ひらがなも読めません、漢字なんてもってのほかです。自分の名前をひらがなで書くことすらできなくなりました。

「今日はありがとう」という文字が、「شكرا لهذا اليوم」というように、アラビア語かなにかのように見えてしまうんです。
これには正直驚きましたし、ショックも受けましたね。たまらなくなって、ナースコールを押して「文字の識別ができない」ことを伝えると、主治医が飛んできて「大丈夫!また頑張ろう!」と背中をさすってくれたのを覚えています。

一晩寝て起きたら文字を思い出せるんじゃないか、と期待しましたが、翌朝になっても症状は改善されません。相変わらず文字が一向に分からないんです。

「これはどうしたものか」と悩みましたが、とりあえず文字を覚えないと何も始まらないので、妻に「絵本」を買ってきてもらいました。すべて「ひらがな」で書かれた絵本です。小学生の低学年の子供達でも読める内容の本なのに、僕は一文字も読めません。こうなると、こんどは読めない自分に段々とイラついてくるんですが、妻が根気よく一文字ずつ教えてくれました。

僕「こ」
妻「それは、『い』やで」
僕「えっ、本当に!?」
僕・妻「あ、い、う、え、お……」
このように一文字ずつ覚えなおしました。

そうすると次第に読めるようになってきました。
すらすら読めるようになるには2週間ほど時間が掛かりましたが、まったく記憶が無くなったと言うよりは、「読むたびに昔の記憶が結びついてきた」感じに近かったと思います。

3週間ほど入院生活を送りましたが、あまりにも入院生活が退屈なので早々に退院させてもらうことにしました。
退院後は図書館に行って、ひたすら本を読みました。退院した時点で小学6年生くらいの漢字まで覚えることができていたので、ビジネス書をメインに読んでいました。

1ヵ月ほどそういった生活を送っていると、ある程度言葉を覚えることができるようになりましたので、職場に戻りました。復帰直後は、普段からお世話になっている先輩の名前を急に忘れてしまったり、言おうとしたことが急に思い出せなくなってしまったりと、高次脳機能障害の症状がでてしまいましたが、仕事が終わってからもコツコツと本を読んで、できる限り脳に刺激を与えることを続けました。結果的には職場復帰から半年後くらいには、元通りにまで回復できたと思っています。

・失語症には小学生が使うドリルを使っての文字の書き起こしと音読が良い!

脳梗塞によって右脳の4分の1を損傷し文字の読み書きが一切できなくなりました。自分の名前すら「ひらがな」「漢字」で読むことも書く事もできなくなったのです。

早速家族に、小学生が使うような絵本や漢字ドリルを買ってきてもらい、ずっと勉強をしていました。
とはいっても、この段階では一文字も読むことができませんので、妻立ち合いのもと「あ、い、う、」といったように、一文字ずつ声を出して覚えるようにしました。

5日ほどで、徐々に読めるようになってきました。感覚的には完全に脳内から言葉が消えたのではなく、リハビリをするたびに過去の記憶と結びついていったというイメージに近いものがあります。

絵本が読めるようになってからは、小学生が勉強する漢字ドリルを買ってきてもらい、暇があれば病室のベッドの上で書き写しました。

僕はこの文字の書き写しが、一番効果があったと思います。というのも、文字の書き起こしは、目、手、指、顏、空間認識といったように、たくさんの神経を同時に使うことができるからです。

 

・脳卒中を克服するうえで必ず覚えて欲しいこと

まず、脳卒中という病気について、どのような特徴があって、どのように回復していくのかを解説します。これを知っておくことで、焦ることなく、冷静に判断し、治すための闘病生活を送ることができるかと思います。

脳卒中という病気は、癌といった進行形の病気ではなく、発症した時点が症状的に一番重たくなり、その山を乗り越えたら、それ以上に悪くなる病気ではないと考えています。

実際の脳卒中の発症直後は、医療による外科的な処置、もしくは投薬による処置をしてもらう必要がありますが、それを超えた後の回復は、患者自身の頑張りにかかってきます。

その土台となるのが、気力です。
前向きな気持ち、この病気を絶対に乗り越えてやる~!といったものです。

たとえ今がどれだけひどい状況だったとしても、嘆くことなく、希望をもってください。
気持ちが前に向かない限り、脳卒中を乗り越えるのは難しくなります。
苦しいかもしれませんが、生きているだけでも丸儲けの精神でここはカラ元気でもいいので、踏ん張ってください。

どうしても前向きになれないときは、僕をみてください。
僕は、脳幹出血を発症して、自発呼吸ができなくなって、左半身麻痺になって、目も見えなくなってしまいました。家族への説明は、「一生寝たきりの生活になるので、施設を探しておいてください」といったもので、もう回復するという話は一言も無かったそうです。

と言うのも、僕が経験した脳幹出血は、脳卒中の中でも1、2を争う位にヤバイ場所だそうで、麻痺程度で済めば良いくらいのレベルの発症箇所です。多くの場合においては生きるか死ぬか、生きたとしても植物人間だとのことです。

そのような状況であっても、僕は不自由なく生活することができています。
そして、僕は体力がもともとあった訳ではなく、ごくごくどこにでもいる普通のポテンシャルをもった人間だったのです。

また、脳幹出血だけを乗り越えることができたのでしたら偶然と思われても仕方がないですが、僕は検査入院中の合併症で脳梗塞を発症しているのです。

この脳梗塞も軽いものでは無く、MRIの画像でみると右脳の約半分近くを損傷しています。

記憶力が弱くなったり、すべての文字の読み書きができなくなったり、右目が見えなくなってしまったりと、これまた散々な症状を患いましたが、約1カ月後には社会復帰することができました。

経験者は強いものだと改めて思います。そして、脳卒中を乗り越えるには、言い方が悪いかもしれませんが、コツがあるのです。

そのコツの土台となるのが、前向きな気持ちになるのです。

僕は入院中毎日心の中で言っていたことがあります。もしよければ真似をしていただければと思います。その言葉とは、

「俺は(私は)、絶対にこの病気を乗り越えて見せる!」

「神様は乗り越えることができる試練しか与えない、この病気は人格を磨くために神様が与えてくれた試練なんだ!」

と言ったものでした。紙に書いて毎日読み上げてもらうと良いですね。
スピリチュアルな要素もあるかもしれませんが、言霊というのはあると思っていて、常日頃思っていること、口に出していることは、その通りになると思っています。

逆に、「もう治らない」とか「最悪だ」とか「何で俺が(私が)こんな目に合わないけないんだ!」といった負の言葉、マイナスな感情というのは、状況をもっと悪くしてしまうものだとも考えています。

 

・6ヶ月の壁のウソ、ホント

脳卒中で入院すると、必ず言われることとして「6ヶ月の壁」という言葉があります。
これは何を意味しているものかというと、脳卒中でダメージを受けた身体的機能は、発症から6ヶ月の内にリハビリをして治していかないといけない。6ヶ月を超えてしまうと、維持期に入り、リハビリ効果が見込めないといったものです。

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図:6ヶ月の壁

これについて僕の見解はこうです。
たしかに発症から6ヶ月以内の回復期と呼ばれる期間は、リハビリの成果が出やすい期間だと実感しています。リハビリを頑張った分、成果が出やすいというイメージです。

ただ、回復期を過ぎたらもう何をしてもダメなのかというと、決してそうではないと実感しています。僕は現に年々、体のバランス感覚が良くなっていますし、発症から7年後には自転車に乗れるまで回復することができています。手の痺れもだいぶ弱くなってきました。腕や足の稼働もスムーズになってきました。

このようなことから、僕はある程度自分の意志で回復することができたのなら、何年なっても良くなっていくものだと考えています。そもそも論、綺麗な動作、スムーズな動き、手の痺れ、体のバランス感覚といった、細かな障害というのは、すぐには治らないものなのかと考えています。

逆に、例えばとりあえず立てるようになる。足を動かすことができるようになる。装具や杖を使って歩けるようになるといった大雑把な動作を回復期の期間中に達成しないと、その後の回復は正直難しいのではないかと考えています。

このようなことから、回復期はとにかく自分の意志で動かすことができるのを最低限の目標としていただければと思います。もちろん装具を付けてでも歩けるようになれれば、それはそれで万々歳ではありますが、まずは回復期の段階では、とりあえず自分の意志で動かすことができればOKだと考えてくださいね。

まとめますと、
回復期はとりあえず自分の意志で動かすことができればOKなのです!

 

・どんなリハビリをすればいいのか?

次に気になる事柄として、どんなリハビリをすればいいのかについてお話します。

テレビの影響かもしれませんが、一般的なリハビリのイメージとして、「リハビリはハードだ」「毎日汗水垂らしながらリハビリをしないといけない」と思われているかもしれませんが、実はそんなことはありません。

日常生活を送るレベルのリハビリなので、そこまで過酷なものではなありませんし、有名な方法に頼る必要もないと考えています。ただ、過酷ではないかもしれませんが、毎日コツコツと回復を信じて疑わずに自主練習を行うことがかなり重要だと考えています。

正直リハビリの成果で言うと、最高のリハビリを毎日1時間2時間受ける人と、極々普通の教科書に載ってるようなリハビリを毎日暇があればコツコツやってる人とでは、最終的にどちらが回復するかと言うと、間違いなく後者だと思っています。

ですから、リハビリの先生と行うリハビリは、どんな自主練習をしたらいいのかを教えてくれる時間だと思ってください。言い換えると、リハビリの先生とのリハビリだけでは絶対回復しないということです。

他のリハビリ病院の現状は分かりませんが、僕が入院していたリハビリ病院は、可能な限り自主練をするように患者に薦めていましたし、どんな自主練をしたらいいかを教えてくれました。

入院中というのは基本時間を持て余している状態だと思いますので、面倒くさがらずに積極的に自主練を行う様にしてください。とは言っても過酷にする必要はありません。5分でも10分でも良いので細切れに自主練をやってください。

だテレビを見て過ごすのか、少しでも時間があれば自主練習をおこなうのか?ちょっとした努力の積み重ねが、後に大きな結果の違いを生み出してしまいます。

僕は15分歩行器で歩いた後は、1時間ほどゆっくりし、また15分ほど歩行器を使ってあるいて、何回かスクワットをしたり、1分ほど握力を鍛えたり、そんな感じで細切れに気が向いたときにやっていました。

この自主練が良いかどうかは分かりませんが、面倒くさがり屋で、しんどい思いをしたくない僕にはこれがベストなメニューでした(笑)

このことからも分かるように、別にリハビリを汗だくになるまでやる必要はないってことです。できる人はやったらいいと思いますが、それよりもリハビリ中は脳の神経細胞に教え込むようにして行うことが大切だと思っています。

 

・退院後は色んな経験をして脳を活性化させる

入院中、リハビリの先生に言われて印象に残った言葉があります。それは、「リハビリ病院でずっといても回復には限界があります。早く退院して、日常生活を送ってください。」というものでした。

ですが、当時の私はそう言われて何て思ったかと言いますと、「そんなこと言わないでよ!」「まだまだできないことあるし、もっと病院でリハビリを受けて回復したいのに!」「今、外に出ても恐いよ~」「先生冷たい~。病院経営の為に早く入れ替えたいだけでしょー」といった具合です。

入院生活が長引くと、麻痺とか障害の重さに関係なしに脳が「日常生活の脳」から「入院生活の脳」へと適応されていってしまうようです。そうなってしまうと「さらに脳が回復する必要性を欠き、麻痺が改善しにくくなる」といった状態になってしまうのです。

退院した今だから分かるのですが、病院といういのは何かと患者の負担を無くすために作られているなって思います。通路も広いですし、食事も看護師さんや栄養士さんが運んでくれことが多いでしょう。仮に自分で取りに行ったとしても、ものの数分で取りに行けますし、食器を洗うことも、片付けることもありません。病院の中というのは非日常の世界であって、その世界を基準にしてはいけないってことです。

日常生活の脳へ切り替えましょう!

例えば病院の外に出て、スーパーに買い物に出かけたとしましょう。まず移動距離にしても病院の中を歩くのとでは訳が違うと思います。また雨や傾斜があったり、自転車もあり、歩道の幅も狭かったりと、病院生活と比べるとあきらめに不便さを感じることでしょう。
店内に入っても難題はどんどんと出てきて、滑りやすいタイルだと下肢の細かなコントロールが必要だったり、レジで財布を出して小銭を渡すのも一苦労だったりします。

入院中はさほど気にならなかったけど、買い物に行くだけでも一苦労です。このような現実の世界に放り込まれると、脳は一気に「日常生活の脳」として働き始めます。

そして、後遺症の克服には、この脳のスイッチが重要なのです。

後遺症の程度にもよりますが、家の周りを歩いてみてもいいでしょうし、もう少し遠くまで歩いてみてもいいでしょう。いずれにせよ。後遺症に悩んで家に引きこもってしまっては、脳が回復する必要性はないと認識してしまい、さらに回復が薄れてしまいます。

人間は楽な方に、楽な方に流れていく生き物です。入院生活が長引くと病院での生活に居心地の良さを感じることもあります。そのような気持ちになってしまったら、自分にムチを打って、楽ではない日常生活へといざなう様にしていきましょう。

 

第二章:後遺症を残さないためにやるべき事

・嚥下障害を治した方法

急性期の脳卒中患者の半数にみられる合併症で、嚥下障害というものがあります。嚥下障害を簡単に説明すると、食べ物を上手に飲み込めず、間違って肺に入ってしまう状態のことを言います。誤嚥が原因で起こる肺炎を「誤嚥性肺炎」といい、高齢者や体力の低下している人では命にかかわる事態になりかねません。僕も例にもれず嚥下障害を発症しました。

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この嚥下障害は、急性期(7日後)には約50%にみられる合併症であると言われています。なお2週間後には約10~20%程度にまで減少すると言われていますが、僕の場合はなかなか症状が治まりませんでした。結局は2ケ月ほど嚥下障害で苦しんでいました。

・嚥下障害が一番つらかった

嚥下障害がでている間は、まったく飲食ができない状態となるため、鼻からチューブを入れて流動食を流し込んでいました。たしかに栄養は足りているので餓死することはありませんが、生きているというより、無理やり生かされているという感じでした。

ですから、「入院中いちばん辛かったことは何ですか?」と聞かれると、間違いなく「嚥下障害」と答えます。それほど辛かった記憶があります。そんな嚥下障害ですが、試行錯誤しながらなんとか約2ヶ月後には徐々に治まっていき、ゼリーやとろみをつけたお茶などを次第に口にすることができるようになりました。(久しぶりの食感の感動は今でも忘れることはありません)

・嚥下障害を克服するには

それでは本題に入りますが、僕が一番効果的だと思っていることは、「絶対に食べれるようになる!」「絶対に食べれるようになる!」「絶対に食べれるようになる!」と頭の中でぶつぶつと思い込むことです!!

「えっ!そんなことで!」と思ったかも知れませんね。

でも、本当にそれしかやっていません。

嘘みたいな話かもしれませんが、僕は嚥下障害に限らず、数々の後遺症を乗り越えてきましたが、その根底にはこの「病は気から」の力を信じていたからだと思っています。

辛いかもしれませんが、大好物の食べ物の写真を目の前に置いたり、触ったり、匂いを嗅いで奮起させるのもいいでしょう。

僕の大好物:フライドチキン

僕の大好物:フライドチキン

また紙に「絶対に食べられるようになる!」「絶対に水を飲めるようになる!」と書いて、毎日その文字を見ることも効果的だと思います。

今回紹介した内容は、嚥下障害の一般的な内容と僕の体験談です。患者さんの状態には個人差が大きく、すべての患者さんに同じリハビリテーションが当てはまるわけではありません。

患者さんお一人ごとの状態、必要なリハビリテーションについては、担当の医師、言語聴覚士によく相談してください。

私たちは普段はあまり意識せずに、話したり、食べたりしています。しかし、話すこと・食べることは、私たちが生きていくうえで非常に重要な活動であり、また日々の生活の「楽しみ」でもあります。

患者さんが話すことと、食べることの楽しみを早く取り戻せるように、言語聴覚療法と摂食・嚥下機能療法への理解が広く深まることを願っています。

余談:歯科医師が開発した「エントレ」たるものもあります。
https://www.keirow.com/entre/

 

片麻痺を治した方法

私は、2011年(当時28歳)に、脳動静脈奇形破裂(AVM)による脳幹出血(延髄出血)を発症し、その2年後の脳血管撮影検査中に脳梗塞を発症した経験をもちますが、幸にして殆ど後遺症を残すことなく社会復帰しています。

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↓回復後の様子

片麻痺は、後遺症の中でも最も治したいもののひとつだと思います。

この記事では元脳卒中患者の私が片麻痺を克服するなかでやっていたことについてお話しします。

片麻痺のリハビリは質より量である

「どんなリハビリをしたらいいですか?」といったご相談を受けますが、私はリハビリに魔法のようなものはないと思っています。

ですから、脳卒中のリハビリ業界で有名な病院でリハビリをしないと回復しないとか、○○法のリハビリをしないから治らないんだ!と思っているのであれば、私はそれを完全に否定します。

私としては、正直どこのリハビリ病院で入院したとしても、同じように回復する自信はあります。というか実際にそのようにして回復してきました。

ただ、何が一番の決め手だったのかというと、それは自主練にありました。

多くの人がリハビリの先生のときだけリハビリをし、それ以外の時間帯はぼーっとテレビを見たり、疲れたからといって寝ていたりしています。

私は、肌感覚でそれだと回復することはないだとうな。と思っていたので、多くの人とは逆のことをしていました。

時間があれば自主練です。

・指が動かないときは、暇があればスポンジボールをグーパーしていました。

・立ち上がれないときは、ベッドサイドでお尻上げ運動などをしていました。

・目の視力が落ちた時には、マジカルアイと呼ばれる3D画像を見て視力を鍛えるトレーニングをしていました。

・車イス生活の時は、足の動きをよくするために足だけを使って院内を移動するトレーニングをしていました。

大前提として、リハビリの先生に教えてもらったリハビリだけでは改善しないことを頭の中に叩き込んでください。リハビリの心構えは、リハビリの先生とやるリハビリは、自主練をするためのリハビリだと思ってください。

自主錬といっても1日に何時間もする必要はありません。隙間時間でいいので気づいたら自主練をしているイメージです。

次に私が毎日暇があればやっていたリハビリ方法をお伝えします。

・グーパーをいっぱいする

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握って、開いて、握って、開いて
単純なリハビリ法ですが効果はあります。そしてこのリハビリは、テレビを見ている時、ベッドで横になっているときなど、いつでもどこでもできるはずです。このリハビリに効率的なものはありません。諦めないことが一番のコツと言えます。

「動け!」と頭で言っても動かない時は、動いている反対の手で補助しながらでも、動く感覚を脳の神経細胞に叩き込むようにしていました。脳は現在の医学でもほとんど解明されていません。ですから常識にとらわれ過ぎず、「自分が新しい常識をつくる!」というくらいにチャレンジしていました。

・グーパー効果を高めるアイテム

先ほどのグーパーと動作は同じですが、より握っている感覚を覚えるのと、握力を付けるために行っていました。

こちらの商品です。

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↓程よい硬さが良い指のリハビリグッズ
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大きさも硬さも程よいのでテレビを見ながら無意識に触ってしまうアイテムです。実はこの無意識さもリハビリには重要なのです。

・電卓を使って指のリハビリ

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指先だけを効率的にリハビリできることはないかと考えたところ電卓を思いつきました。

電卓だとソーラー電池で充電いらず、また場所も取らないので、ベッドの上でも、デイルームでもどこでも気軽にできて、非常によいリハビリになったと思っています。

問題集をPDFにしましたので印刷してご利用下さい。

↓電卓問題集(PDF)
radinavi.com/pdf/dentaku.pdf

最初は、全然うまくいかないんですが、毎日コツコツとやっていると次第に要領が分かってきて、スムーズにキーを打てるようになってきたので、よいリハビリになったと思っています。

ちなみに『僕が使用していた電卓』は下記ものになります。

↓キーが大きくて打ちやすい電卓
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楽天の電卓購入ランキングで1位だったので買ってみました。

・リハビリ用器具 ペグ

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麻痺等のリハビリでよく使われる「ペグ」を使ったリハビリです。同じ色に並べたりすることで、肩回り、腕回り、手先のリハビリになります。隙間時間でのんびり気長に遊び感覚で楽しんでいました。価格も手頃で助かります。

指先の訓練にちょうどいい大きさですし、指先のトレーニングにとても効果がありましたので、お勧めしたいリハビリグッズのひとつです!

↓リハビリ用のペグ
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・脳卒中・リハビリ革命

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麻痺改善に役立つかも知れない書籍をご紹介します。脳卒中の後遺症は、一人ひとり状態が違いますから、決まったリハビリ法と言うものは存在しません。ですから、1つづつ試してみるしかありません。ただ、この書籍に書かれているリハビリ法を使えば、何年も麻痺状態にある人でも、その日のうちに動き出したという事例が無数に起きているようです。

僕も自然と書籍に書かれている内容のリハビリをしていました。回復期を過ぎて諦めている人、今やっているリハビリに限界を感じている人には一読いただきたい書籍です。

↓書籍購入(Amazonへ移動します)
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・再生医療の可能性

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人類は、素晴らしい研究者のお陰で医学は発展していっています。今まで不治の病だと言われていた病気でさえも治る病気だってあります。例えば私も最も注目しているのがサンバイオっていう会社の新薬です。

日本人がアメリカで立ち上げたんですが森(社長)さんって方が居て新薬を開発し申請手前である状況なんです。新薬と言うのは脳梗塞、外傷性脳損傷の人に投与すると脳が再生すると言う世界初の細胞再生薬。

なんとも常識を覆す話ですよね!

脳が再生するなんて!

それも慢性期に効くらしいアメリカで臨床が終わり日本でも進んでるらしく、麻痺の後遺症で苦しんでる人たちに取っては夢のような話だと思います。

ただ、いい意味で日本は慎重なので今すぐにとはいかないかもしれませんが、承認と許可が下りることを願いましょう

特集された映像を共有しておきますね。

後、Muse細胞という再生医療も注目を集めています。

ひとつ言えることは未来は明るいという事です。

・歩けるようになるために

僕は今までに何度か行自主練習の大切さを何度か繰り返し申し上げていますが、やはり自主練習が1番大事になると考えています。
とは言っても自主練習がしやすい環境を整えることも合わせて大切です。

とくに立つ、歩くは足腰の強化が絶対に必要だとリハビリの先生に言われました。
下記のリハビリ器具を購入して足腰強化を図っていました。

座ったまま足腰強化できる運動器具



これは、5分で1000回 座ったまま歩行不足を補える運動器具です。いつも座っている椅子の下に置いておくだけで楽に運動ができます。僕はこの器具のお陰で足腰強化を図ることができ、順調に歩けるようになれたと考えています。

・リハビリ前には微量ミネラルを飲みましょう

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僕は数々の脳卒中による障害を乗り越えることができましたが、その一因となったのが「微量ミネラル水」を毎日リハビリ前に飲んでいたからだと考えています。とくに奇跡のミネラルと呼ばれている「マグネシウム」が、バランスよく配合されている「微量ミネラル水」を摂取することが大事だと考えています。

 

視力を治した方法

母から聞いた話ですが、脳幹出血で緊急搬送されたとき、ICUで入院しているときに、僕の両目はまるでメリーゴーランドのようにグルグルと回っていたそうです。なんとかICUを出たころには、グルグル回るのはおさまりましたが、すべてのものが二重に見えるようになり、視力も大幅に落ちてしまいました。右目と左目の黒目がまっすぐならない斜視にもなっていました。

目が不自由になると、今後に私生活にも多大なる影響を与えることが想像できるので、何としても治していきたいと焦っていたことを覚えています。

しかし、目のリハビリは理学療法(PT)でも作業療法(OT)でも言語聴覚療法(ST)でも体系立てられたものは無いと言われましたので、仕方なく独自にあみだしたリハビリ方法を行いました。それが効を奏したのか、約2ヶ月後には元通りにまで回復することができました。

とは言ってもすべての症状が治ったのかと言うとそうでもなくて、眼振は後遺症として残ってしまいました。ただそれでも日常生活にそこまで支障はでていなく、車の運転もできているので、それはそれでOKなのかと考えています。

それでは、l僕が独自にあみだした目のリハビリ方法について解説いたします。この方法は、脳幹出血を発症した際も、2年後に脳梗塞を発症した際にも使っていた方法なので、視力の後遺症に悩み苦しんでいる方は、参考になさってください。

僕がやったことは以下の3つです。

  • 遠くの景色と手元の物を交互に見る
  • 眼球の筋肉をトレーニングする
  • 視力回復の医療機器

これらは、特別に難しいことでもないので、誰にもでも出来ると思います。
ただ、回復を信じてやり続けることができるのかどうかが大事かもしれません。

遠くの景色と手元の物を交互に見る

「アフリカの原住民は視力が6.0ある」「視力の低下は眼球に筋肉が弱まって調整できないからだ」
僕は視力に関してそのようなイメージを持っています。

ならば、遠くの景色と近くの景色を交互に見るトレーニングをすれば治るんじゃないかと、かなり安易な考え方ではあります、このトレーニングを開始しました。暇があれば手元のテーブルやペンを10秒ほど見た後に、窓の外から見える山やビルをじっと見るというリハビリを、一日に何十回も行いました。

ただし、このトレーニングのデメリットは、やりすぎると頭が痛くなってしまうことです。僕はだいたい1ヵ月ほどで効果があらわれてきました。

・眼球の筋肉をトレーニングする

『3D視力回復』というジャンルの本を使ってのトレーニング法です。

ある焦点になったときに立体的に見える画像を使った視力回復を図るものです。筋肉を付けると物が楽に持てるのと同様、目もトレーニングをすることで見えやすくなる人もいるというのではじめました。

『3D視力回復』の見方には「平行法」と「交差法」というふたつの方法があるのですが、これらを交互に繰り返すことにより、。より効果的に筋力アップにつながると言われています。

「平行法」は比較的簡単にできましたが、「交差法」はコツを掴むまでに時間が掛かりました。なお「平行法」は飛び出たように、「交差法」は逆に凹んで見えます。「平行法」と「交差法」を交互に見ることがよいトレーニングになったと考えています。
そして一番大切なのは、コツコツと毎日やり続けることです。毎日五分を数セット行うことが良いと思います。

ただし、このトレーニングも、かなり目の筋肉を酷使するので、やりすぎると頭が痛くなってしまうことです。

・視力回復の医療機器

超音波振動の力を使って、視力アップを図る医療器具です。早い方は、1回の使用だけで効果を体感できる方が多いようで、僕も使っていました。使い方は、1日10分間、片方の目にだけ超音波を投射するのが基本です。次の日には、もう片方の目を10分という具合に、左右1日交代で行います。ですから、1日10分、日課のように治療時間を設けることに注意していただければ安全に治療できます。



 

失語症を治した方法

僕は2度目の脳の病気である脳梗塞を発症した際に、失語症(文字の読み書きが一切できなくなった)を発症してしまいました。

失語症と言っても症状は人それぞれで、僕の場合は普通に話すことはできるけれども、ひらがな、数字といった具合に全ての文字が一切読めなくなるという状態になりました。ですから、自分の名前すらも読むことが出来なくなってしまったのです。

普通の状態だとなかなか想像ができないと思いますが、例えば『ありがとう』という言葉でも、当時の僕には『شكرا لك(アラビア語でありがとうです)』といった具合に全く何を書いているのか分からなかったのです。

ですがこれから紹介する方法でなんとか乗り越えることができ、2週間ほどで社会復帰することができました。ここでは僕が失語症を克服するために行ったリハビリについて紹介します。

・【結論】大量の本を読む

失語症の克服は、たくさんの本を読むことです。脳ミソから煙が出るくらいにまで、脳細胞を酷使させることが非常に大切だと思っています。

すみません。
もっと簡単なこと、特別なことを期待したかも知れませんがマンパワーです。

辛いかもしれませんが、自分の体のことですし、家族や周りの人のためにも、ここは歯を食いしばって頑張ってください。

僕はもともと読書を好むタイプの人間ではありませんでしたが、頑張るしかありません。

そんな僕でも新書程度のボリュームを1日に1冊は読んでいました。それくらいの努力はしてください。

僕は図書館に行って借りていましたが、最近だと持ち運びが便利な電子書籍がオススメです。今手持ちのスマートフォンに専用のアプリをインストールすることで簡単に読むことができます。

電子書籍は今のところAmazonがほとんどのシェアを占めているので、Amazonの電子書籍(Amazon Kindle)を利用すれば間違いないでしょう。またAmazonの電子書籍(Amazon Kindle)は、1冊ずつ購入して読むプランと、月額980円を支払えば対象の本が読み放題になるプランがありますが、たくさんの本を読んでいただきたいので、いつでも解約できる月額980円のプランを申し込んでみましょう。

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・タブレット端末や電子書籍リーダーで読書

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タブレット端末の場合、大事なときに電池切れとかがありますが、電子書籍リーダーの場合ですと一度充電しますと8週間ほど電池が持ちます。
ブルーライトの影響もなくパックライトつきのモノクロE Inkで目にとても優しいのです。

病院内や自宅でwifiの設定できない場合などは、下記リンクの4Gモデルが便利です。無料で4G回線が使えるので、インターネット環境がない場所でも本をダウンロードできます

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手の痺れを治した方法

僕が入院していた時にでも、指先から肘にかけて痺れを感じるという患者さんは沢山いましたし、痺れ改善についてのご質問を多数いただいております。僕は脳幹出血を発症した影響で、夜も眠れないくらいに左手の痺れが出ました。が、現在は少し気になる程度にまで改善しています。

では、僕は何をして痺れを改善させることが出来たのかについてお話ししたいと思いますが、結論から言いますと、痺れはすぐに簡単に治るものではありません。

前にもお話ししましたが、リハビリで目に見えて結果が出やすいのは、大きな動作です。大きな動作とは、足を上げたり、腕を上げたり、歩いたり、立ったりすることです。これらは比較的 数か月とか短い期間で改善される場合があります。逆に手の痺れ、ふらつきといった細かな動作、細かな障害というのは、年単位の時間軸でみるとよいでしょう。

僕も当初は左手の痺れが酷く、寝る時も辛かったです。しかし、3年ほど経ってからは、そこまで気にならなくなってきました。おそらく日常生活を送っていく中で、自然とたくさんの刺激に触れることで慣れてきたんだと思います。

それでもより早く改善していきたいとお考えなら、イボイボボールをお使いください。ちょっと固めの素材でできていて、ゴムのようなプラスチックのような素材。テレビを見ているとき、寝る前などに触るだけで、手にたくさんの刺激を与えることができるので、感覚を脳が覚えて痺れが治まってくるのです。

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脳卒中を再発させないためにやるべきこと

脳卒中を再発してしまうと高確率で重度の後遺症が残ってしまうと言われています。

元脳卒中患者である僕は、大事な家族を守るためにも再発をさせないように食生活の見直しをかれこれ10年近くやっています。

その甲斐あってか、今のところ再発していませんし、再発の要因となる血圧などの数値も正常値を保てています。

この記事では、元脳卒中患者の僕が脳卒中の再発をさせないために行っている食事についてお話しします。

・一箇所発症すると再発の可能性があります

脳卒中は血管が破れたり詰まったりする病気であります。ゆえに一箇所が破れたり詰まったりするという事は他の場所でも同様の方が起きてしまう可能性があると言えます。

一般的に再発を防ぐためには、脳卒中な要因(危険因子)をなるべくしない事が重要だと言われています。

危険因子には、タバコ、お酒(飲み過ぎ)、脂っこい食事、そして塩分の多い食事です。

原因がはっきりとしているので、あとは対策をしていくだけですね。

・再発予防策:減塩なのに美味しい!調味料に変える

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簡単そして効果が見込めるのが、塩分控えめの調味料に変える事です。

例えばこの様なものです

↓ 医師も推奨「無塩ドットコム」
https://px.a8.net/svt/ejp

これは塩分量が少なくてもしっかり味付けができる調味料です。

妻に普段使っている調味料と変えてもらいました。慣れてしまえばこれが標準になるので味が薄いといった感覚は無くなります。

そして何より減塩食を食べているんだからいう安心感があります。

合わせて血圧を考えたお茶もあります。

↓ 高めの血圧にGABAの緑茶
https://px.a8.net/3HCANW

忙しい日常生活の中ではどうしても難しいっていった場合には、デリバリーするのも1つの手だと思います。

↓低糖質・低塩分)な食事をご自宅に届けてくれる
https://px.a8.net/a8mat

・ドロドロと言われたら

「ドロドロになっている」と言われたら、これまた脳卒中の危険因子の爆弾を抱えていることに食生活の改善が必要になります。

場合によっては薬を処方されることもあるでしょう。しかし、薬というのは対処法であって、正しくは薬を処方しながら食生活の見直しを行う必要があります。

具体的には水を多く飲むこと、後は先にも述べた通り減塩食を食べることです。

僕の父は脳梗塞を発症してからは、ウォーターサーバーを家に置いて、水筒に入れて持ち歩いています。

↓ボトル設置型のウォーターサーバー
https://px.a8.net/3HCAOB

↓水道直結式のウォーターサーバー
https://px.a8.net/3HCAO8

サプリメントもあります。

↓納豆サプリメント
https://px.a8.net/3HC3MG

・糖尿病を持っている場合は、脳卒中の発症率が高くなります

血糖値が高い状態が続くと、細い動脈だけでなく太い動脈にもダメージを与えます。

動脈は心臓から全身に酸素と栄養素を送り込む血管で、動脈硬化が進行すると内壁の弾力性がなくなったり詰まったりして心筋梗塞や狭心症、脳梗塞を引き起こすことがあります。

国内外の研究で、糖尿病は動脈硬化性疾患の発症・死亡リスクを2~3倍上げることが知られています。

また、世界的な大規模試験「UKPDS35」では、糖尿病を発症する前の段階(糖尿病予備群)で、心筋梗塞をはじめとする冠動脈疾患の発症率が上昇することが明らかになりました。

多くのコホート研究でも食後高血糖と冠動脈疾患の発症率が密接に関係していることが報告されており、早期より進行を予防することが重要とされています。

と言うことで、糖尿病を患っている方や、血糖値が高目の方は、より厳格に食事の見直しをする必要があります。

先の調味料と合わせて下記の様な物を参考にしてみてください。

↓低糖質・高たんぱく冷凍弁当
https://px.a8.net/96FNU2

↓糖の数値が気になる方向けのゼリー
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僕は食生活の見直しの甲斐もあって9年間再発させずに済んでいます。また血圧も正常値を保っており、脳卒中の危険因子を限り避けれています。

僕のように脳卒中を経験しても社会復帰生きていることができているのであれば、生かされたその命を大切にして再発をさせない努力をしてください。

それは患者自身でもそうですがそのご家族の方周りのいる方にとっても大切なことですので、ぜひ色々と試していただいて、ご自身に合った物を見つけてくださいね。

 

医療業界の闇

日本に限った話ではありませんが、どれだけ素晴らしい治療、治療薬、商品があったとしても、供給されない場合が往々にしてあります。それは政治的な要素や、既得権益があったりします。

たとえば、新型コロナウイルスのワクチン。日本に供給されているワクチンは米国産のものばかりです。でもそれよりも先に大阪大学がワクチンを作っていたりします。でも、実際に供給されているのは日本産ではなく、海外製のものばかり。要はその裏に政治的な要素があったりするのです。

他にも虫歯。虫歯治療と言えば、歯をガリガリと削ってかぶせ物をする治療することですよね。でもあまり知られてはいませんが、ある薬液を虫歯部分に付けると虫歯は根絶することができます。でも、それをしてしまうと、多くの歯医者がつぶれてしまいます。また歯科院に関わる設備、たとえば歯を削る機械などの製造しているメーカーにも多大なる影響を与えてしまいます。

そのため、どれだけ素晴らしい技術や商品があったとしても、世には知られず。またそのようなものは厄介者として情報を制限されていたり、治療として認可されていない場合が往々にしてあるのです。

そのため、先にも紹介させていただいた「サンバイオ」「Muse細胞」「微量ミネラル」なども、なかなか認可されなかったり、広まらない可能性が高いと思います。

ですから、世の中の常識というものを真に受けるのではなく、少しひねくれて考え、何が正しいのか、本当にその情報は正しいのかを見極める必要があります。

 

第三章:ご家族の方へ

昏睡状態の患者に対して家族ができること

脳幹出血発症した直後は、昏睡状態となり、また自発呼吸もほとんど機能していなかったので、人工呼吸器を付けてもらっていました。

ただ、そのような状態でも覚えていたことがありまして、それは掛け声でした。ただ、掛け声といってもただ話しかけるだけではなくて、「早く良くなってね」「ずっと待っているからね」「お母さんが変われるものなら変わってあげたいわ」といった、本当に心配しているのよと感情を込めた掛け声です。

また名前を呼んでもらえるのも良かったと思います。

入院中、多くの患者さんと出会いましたが、みんな口を揃えて音は聞こえていたと言っています。このようにたとえ意識が無かったとしても音は届いている可能性が高いのです。

・「音」は届いている可能性が高い

人間の機能の中でも『耳(聴力)』というのは、原始的な機能らしく、たとえ意識がなかったとしても届いている可能性は高いとのことです。とくに好きな音楽を聞かせることによって、脳波に良好な反応が出る場合が多いようです。

早く回復して欲しい一心で、いろいろと目を覚ますきっかけ作りを試みていた妻。そんなあるとき、僕と同じように脳の病気で意識不明状態の人が、好きな音楽を聞かせることで、意識を取り戻し始めたという情報を得ます。

早速、耳にイヤホンを挿して僕が好きだった音楽を面会の度に、数時間に渡ってかけてくれました(このとき、曲名までは分かりませんでしたが、何か音楽が流れているなっていうのは分かりました)。

・音楽を聞いた後には呼びかけに対する反応が出やすい

ある脳は分析経研究チームの発表では、名前を呼んだときの対象者の脳波を分析した結果、連続した音よりも好きな音楽を聞いた時の方が、より多い割合で脳波の応答が確認されたとされています。

さらに研究チームは、「音楽を聞かせたときの弁別応答があるときは結果がよりよいという関連があるように思われた」と報告しています。これらの結果から研究チームは、「おそらく音楽が個人の感情に関わっていることにより、覚醒および/または意識回復が促されている」と考えています。音楽は、意識障害の状態にあっても心に届きやすいのかもしれません。

・手を触りながらの声掛けが有効

手を触ってもらいながらの声掛けも良かったです。感情が動かされ心に熱く残っています。ですから、家族や周りの方は、ぜひ手を握りしめながら、名前を呼んで話しかけてください。とくに思いやりのもった言葉は届く可能性が高いです。

耳元でそっと「早く元気になってね」「ずっと待っているからね」といった励ましの言葉です。

・コロナ禍で面会が制限されている状況下でできること

コロナ禍の状況下では、自由に面会できることは難しくなっています。短時間にでも面会することができるのであれば、イヤホンを付けてオディオプレイヤーを再生してください。

面会すら制限されている場合には、もう看護師さんにお願いをするしかありませんので、お願いしてみてください。

肝心のオーディオプレイヤーですが、通常のオーディオプレーイヤーはパソコンやアプリを使って音源を取り入れる必要がありますが、以下のものは最初から音楽が入っているので、音源を取り入れるのが苦手な方はお使いいただければと思います。

・ボイスレコーダーが有効

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僕自身、家族の「いつでも待ってるね!」「頑張ってね!」という声は聞こえていましたし、その声を頼りに目覚め始めたと言っても過言はないと思っています。それに音楽も心が休まりました。この「掛け声」と「音楽」の両方を実現できるのが、これから紹介するボイスレコーダー兼FMラジオチューナーです。

昏睡状態から目覚めた後は、ラジオとして使うことができるので喜ばれるかと思います。

↓ボイスレコーダー兼FMラジオチューナー
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↓一般的なボイスレコーダー
https://amzn.to/3vO8ihO

・信じる者は救われる!?神頼み

御守りにはそのようなご利益があるものです。僕も沢山のお守りをベットの手すりに付けてもらっていました。お守りはたくさん付けていただく事が良いかと思っています。



 

家族の人も後悔しないために

僕の親戚の叔父さんは、僕が脳幹出血をする五年ほど前に脳出血を発症し、左半身麻痺してしまいました。当時の僕はまだ脳幹出血を発症していなかっため。叔父さんと叔母さんの気持ちやリハビリに対しての思いは語ることが出来ません。

ただ叔父さんは「リハビリなんかしても無駄だ!」と、リバビリを積極的にやらなかったそうです。叔母さんもそこまで強く「リハビリしよう」とは言わず、「本人の意思を尊重した」そのように言っていました。

結果的には左半身の麻痺はひとつも改善することなく、重たい後遺症を抱えるようになりました。叔父さんはベッドから起き上がるのも介護が必要になりました。叔母さんはそれでも一言も苦言を言うことなく介護をしていました。

だけど叔父さんは大腸がんになって、その五年後に亡くなってしまいました。

「子供二人を独立させ、さぁこれから旅行に行って人生を満喫したかったのに!ちくしょう!!」
これが伯父さんが死ぬ間際に言ったことでした。たまらなく胸が痛かなりました。

叔父さんの葬儀の場で叔母さんが僕にぼそっと「脳出血破傷した時にもっとリバビリをさせておいたら良かった。もっとリバビリをさせておいたら、信也みたいに回復したかも知れない、、、」と悔しているとも言っていました。

もしかすると、叔父さんのようにリバビリを拒否するが少なからずいるかもしれません。けれども、脳卒中を発症して命をとりとめたら、やっぱりやれるだけリバビリをして身体を元に戻さないといけないと思います。

患者本人ははもちろん、患者さんをサポートする方も後悔しないように、「あのときもっとやっていれば」と後悔しないように
最初から無理だと投げ出さずにリハビリをして欲しいと思います。

脳出血や脳梗塞でダメージを受けてしまった
身体的ダメージは、リハビリでしか治らないのだから…

 

患者は「隣にいてくれるだけ」で、俄然生きる気力が湧いてきます

僕が入院していたのは大阪府でしたが、県外を超えてたくさんの人がわざわざ僕の様子を見に来てくれました。中にはスリランカから12時間ほどかけて来てくれた方もいました。

僕は面会に来てもらうという経験から学んだことは「そこへ行く」という行為自体が、僕に会って喜んでくれようが、泣いてくれようが関係なく、「僕のために貴重な時間を使ってわざわざ来てくれたという感謝につきる」というものでした。

この経験から、もし「自分にとって大切な人がピンチになったとき」には、何ができるか分からなくても「とにかくすぐに駆け付けよう」と決めました。

人は見えるものだけを信じ、目に見えないものをなかなか信じることはできません。
ただ、その場の空気を一緒に共有するだけで、生きる気力が湧いてくるんです。
「大切にされている」「勇気が湧いてくる」「頑張ろう」と思えるものなのです。

一緒にいてくれる人が「1人いるだけ」でも、本当に幸せなのです。

 

お医者さんから嫌われる患者・家族の特徴

検査や定期検診などで、お医者さんと話す機会は多いと思いますが、お医者さんと話すときは注意点があります。この注意点を守らないと信用を失うばかりか、嫌われてしまうことになります。

お医者さんから嫌われてしまうと何が不都合なのかと言うと、やはり深く診てもらえなくなることでしょう。お医者さんといえども感情をもった人間です。また、生計を立てるためにお医者さんをしている人も多いでしょう。またお医者はプライドの高い人も多いので、気に食わない人には冷たくあしらったりします。

このようなことから、やはりお医者さんに「嫌われる」よりかは「好かれる」患者でいる方が、得策であることは間違いありません。

今回は、お医者さんから嫌われる患者・家族と、好かれる患者・家族に共通するポイントをお伝えしたいと思います。

・同じ質問を繰り返す患者・家族は嫌われる

入院するほどの病気は、患者としても、患者の家族としても、初めての体験となる場合が多いです。当然、分からないことばかりの連続だと思います。しかも、脳卒中などの大病の場合には、生存状態、後遺症の度合いなど、悩みの深さも複雑になります。分からない部分は、お医者さんに都度聞いていく必要が出てくるのですが、ここで「嫌われる患者」と「好かれる患者」に分かれるポイントがあります。

それは、お医者さんが言っていることをメモしないこです。そして、最悪のなのが、前回と同じ質問を繰り返してしまうことです。ただ、これはなにもお医者さんとの会話だけの話ではありませんよね。誰かに何かを教わるときのスタンスです。質問に答える立場にある人は、真剣に悩みを聞いて答えようとしています。できるだけ分かり易く、噛み砕いて説明している場合が多いと思います。気を遣って説明しているのです。

なのに、質問者側がメモを取らずにいるとどう思いますか?
「せっかく真剣に説明しているのに」と思ってしまいますよね。
ですから、お医者さんと話をするときは必ずメモ取るようにしてください。

お医者さんは勉強ができますし、人一倍努力をしてきた人たちです。
教えてもらったことを真剣に学ばない姿勢は、完全に嫌います。

逆に、メモを真剣にとっていて、次回の検診の際に以前の説明を頭に入れたうえで、発展性のある質問をする人は、お医者さんからかなり好かれます。お医者さんしても、しっかりと説明を聞いてくれて、自分なりに考えてさらなる質問をしてきてくれる人を嫌いにはなれません。

ぜひ、メモ用紙とペンを持ってからお医者さんと話をするようにしてください。

 

お医者さんが言っていることのすべてが正しいとは限らない

「意識が戻る可能性はほぼ無いでしょう」
「後遺症が残るでしょう」「目覚めることはないでしょう」
「麻痺が残るでしょう」「言語障害が残るでしょう」
「医師の言うことがどうも腑に落ちない――。」

これらは、LINEのメッセージ相談を始めてから、ほぼ毎日と言っていいほど頂くメッセージです。しかも、脳卒中を発症した直後の医師から言われた内容なのです。

僕から言うと、あまりにも時期尚早と言いますか、今出ている症状というのは、必ずしもそのまま後遺症となるものではないし、脳の腫れがおさまってくれば状態は安定してくるだろうし、その後のリハビリによって改善させていくことは十分に可能なんです!

もちろん、中には要は今の状況がそのまま続く可能性もありますが、まだ今の段階で決めつけるのは本当に時期尚早だと思います。だから医者のその言葉を真に受けて、諦めて欲しくないんです。

でも、これは医師の立場に立って考えてみれば、そうせざるを得ないと納得できるかと思います。

医者は、毎日望んでいなくても患者が運ばれてきます。
しかも脳卒中の場合は、外来の間に緊急オペが入ったりと、時間的余裕が少ない診療科になると思います。ですから、患者さんやそのご家族の疑問をきちんとひとつひとつ説明する時間的余裕が物理的にないと考えられます。

それに希望を持たせることを言ってしまうと、「あのとき治るといったじゃないか!」と、さらに面倒なことにもなりかねないので、そこまで重症でなかったとしても、良いことは言わずに、最悪のことだけを伝えることが多いと推測されます。

ですから、はっきり言って「気にするな!」です。

ちなみに、僕も脳幹出血を発症した際の、家族への説明は
「絶対に目覚めない」「絶対にベッドから起きれない」
「一生、植物人間になると思っていてください」
「ケースワーカーさんに施設を決めてください」
といった具合に、さんざんだったそうです。
たしかにお医者さんの言っていることは、おおよそ間違いではないと思います。なぜなら確率論で言っているからです。それに、患者の回復なんてそんなに興味ないと思います。

なぜなら、どんどんと新たに搬送されてくる患者の対応に追われているからです。とくに日本はこれまでにない超高齢化社会に突入しています。今後はますます医者の対応は手短に行われることでしょう。しかし、これが病院業界での日常なのです。

家族でもない赤の他人のことなんて、そこまで親身になってはくれません。子供・若い人に対しては多少なりとも情が入るので、まだ丁寧に対応してくれるかもしれませんが、成人や老人に対しては、そこまで構ってくれないでしょう。

僕の独断と偏見ではありますが、そんなものだと思います。あくまでも他人。仕事です。

そして、ほとんどの医者はサラリーマンです。早く帰って家族サービスをしたいと思うだろうし、自分の時間も取りたいと思うでしょう。ボランティアで海外派遣に行くような医者は極々まれな人たちです。接客業の仕事を経験すれば分かると思いますが、最初は丁寧にお客さんに対応しても、慣れてくると段々と接客に対する丁寧さ、思いやりといったものは削れていくのではないでしょうか?それと同じです。

ですから、どんなことを言われようがあまり気にしないことです。ましてや家族の方は、「ど~ん」と構えておいてください。家族が不安そうな顔をしていては、患者はもっと不安になってしまいます。たしかに、はじめての経験で本当に不安なことと思います。

急性期のときは、良いことを聞いたら希望をもって、悪いことは無視するぐらいでちょうど良いです。むしろ、お医者さんに一命をとりとめてもらったら、後の意識回復や機能回復は、患者と患者の家族の頑張りにバトンタッチです。

何度も言いますが、脳卒中の闘病生活は、患者と家族との二人三脚が基本です。

 

母直筆の71日間の闘病記録ノート

僕がAVM(脳動静脈奇形破裂:脳幹出血)を発症した2011年1月19日から、リハビリ病院に転院した71日間の闘病記録を母がノートに綴ってくれていました。

母曰く、
脳幹出血発症した直後は、もう助からないと言われていたそうですが、必ず元通りのように元気になって帰ってきてくれる!と信じて書いていたそうです。

そして、今後同じ苦しみに会うであろう方に、このノートを公開し、家族がどんな風に患者と接すればいいのかの、教科書として伝えていこうとまで考えていたそうです。

僕は家族に本当に生きる力をもらいました。

どのようにして回復していくのかを垣間見ることができる資料となっています。

個人情報になってしまう箇所につきましては、黒く塗りつぶしておりますが、できるだけ原文を残した形で公表いたします。すこしでも看護の目安になれれば幸いです。

 

僕がここまで回復できたのは、家族の支え、ドクター、看護師さん、リハビリの先生、仲間の支え・・・そして本人の努力があったからだとは思います。

本当に支えてもらった人たちには心から感謝しています。と同時に家族の支えは本当に大きかったです。生きる望みを与えてくれます。

ですから家族の方は出来る限り多くお見舞いに行って欲しいと思っています。例え通うまでの距離が遠かったとしても、落ち着くまではお願いしたいです。

急性期のときの一番の薬は「家族の面会」だと僕は思っています。

 

第四章:脳卒中を乗り越えるための考え方

脳卒中を克服する上で捨てるべきもの

元気になりたい、病気を発症する前の状態にまで回復したいと願っていることかと思います。

この記事では脳卒中を乗り越える為に持っていてはいけない考え方をお伝えします。この間違った考え方をしていると確実に成果がでないと思っています。

と言うわけで早速本題なのですが、脳卒中克服の妨げになる考え方として、プライドと固定観念があります。

まずプライドですが、脳卒中を乗り越えることができない人が必ずと言っていいほど陥っているのがこの思考です。

僕は8年ほど前から、ブログがYouTubeを使って脳卒中を克服する情報を発信しています。分からないことなどはメールやLINEを使って個別にアドバイスをしています。

そうして何年もアドバイスをしていると脳卒中を克服できる人とできない人との違いというのが、だんだんと分かってきました。

それは、僕のブログを読んだり僕のアドバイスを聞いたとしても「確かにこの人の言っていることは正しいと思う」だけど、自分はこう言うやり方をやりたいんだって考え、体験者の経験を参考にしない人です。

そこに正解があって、それが正解だと分かっているのに、そのやり方をやらずに自分の考えたことをやっているのです。

脳卒中の克服は、だいたい何をしないといけないのかが決まっています。僕は1回目の脳幹出血でそれが分かったので、2回目の脳梗塞は1ヶ月ちょっとで社会復帰を果たすことができました。

では、何で分かっているのに行動できなかったかと言うと、結局それはプライドが高いからなんです。自分には自分のやり方があるとか、この人と同じやり方はしたくないとか、考えているんですね。

でも、この記事を読んでいるあなたには真剣に聞いて欲しいんですが、脳卒中の克服にはある程度のやり方があります。

もちろん、学校の授業のように、学校のテストとかは全部正解があるじゃないですか、それくらい正解があるわけではないんですが、ある程度の正解のルートみたいなのがあります。

その正解のルートは僕のブログを見てもらったら分かるんですが、全てと言ってよいほど何をしないといけないのか、何をしたら良いのかが分かるようになっています。

後はそこに向かって行動していくだけです。中にはそう簡単にはできないものや、お金が必要になってくるものもあったりしますが、それをやり続けることによって回復していく場合が多いです。

なので、本当に正解があるのであればまた、とりあえず一旦そのままやってみる事がすごく大事だと考えています。

次に捨てるべき思考として固定観念があります。固定観念っていったい何なのかと言いますと世間一般に言われていることを、そのまま信じてしまっていることです。

僕もそうでしたが、脳卒中は麻痺が残るものだと言ったものです。僕も脳幹出血を を発症して左半身が麻痺してしまった時に、もうダメだと思っていました。これこそ固定観念ですね。

でも、お医者さんもリハビリの先生もリハビリをしていくことで、改善していく事がある事を教えてもらい。

「えっ!そうなの!?」とそれまでの固定観念が変わりました。

それからはリハビリをすれば治るんだ!絶対に治すんだ!と心を入れ替えてリハビリに励みました。

その結果については、僕のブログにも紹介させていただいている通りで、麻痺を残すことなく回復する事ができました。

でも、以前の脳卒中に対する固定観念を拭いきれなかってら、恐らくここまで回復はできなかったと思います。固定観念はそれくらい強力なものなのです。

 

僕を強くしてくれた言葉

脳幹出血で死にそうなほど辛かったとき、

もうダメだと諦めそうになった時

僕はこの言葉を頭の中で呟き、モチベーションを維持していました。

その言葉をご紹介します。

「こんな苦しい状況、お前ら経験した事ないだろう。俺はこの苦境を乗り越えてみせる!苦しみが強ければ強いほど、人生のどん底であるほど、誰もが経験した事ない事ほど、それを乗り越えた先には輝かしい道が待っている」

紙に書いて、辛い時、挫けそうになった時にはこの紙を見て奮起していただければと思います。

 

大病を経験すると人生が輝きだします!

生きていく中では、嬉しいこと、悲しいこと、辛いことがまるで株価のように繰り替し訪れます。

だけど、悲しい時、苦しいときこそ、それを乗り切った時には大きな自己成長に繋がっているものなんです。

失恋なんかまさにそうですよね。
いつも一緒にいたのに、ある日を境にして「パタン」と途切れてしまう。

悲しくて、悲しくて、茫然としてしまい、生きる気力さえ失うときがあります。

だけど、その悲しみを乗り切った先には、失恋しないための心構え、人間力が身につきます。

失恋という壁にぶつかったときにはじめて、至らぬ性格、言動が研ぎ澄まされていき、生涯を共にできるパートナーが見つかるのです。

家族といった大切な人が死んでしまった時もそう。
茫然と立ちすくんでしまい、悲しみに暮れます。

だけど、その悲しみから少し立ち上がれたときにも、やはり、その悲しみの分だけ人間力が磨かれていきます。

病気もそう。

僕は脳幹出血と脳梗塞を経験しました。脳幹出血は、まさに人生のどん底でした。

でも、脳幹出血を発症させてしまったのは、間違いなく僕が至らぬ人間だったから、婚約者に対しても、気分の浮き沈みで接してしまったり、世の中に対しても不平不満を言っているだけでした。

だけど、大病を経験することで、生きているありがたみが本当に分かりました。

たくさんの人に応援されたから、諦めずに病気を克服することができました。

今まで当たり前だと思っていたことに、「幸せ」と「感謝」ができるようになりました。

だから、これからは、

1.目は、人の良い所だけを見よう。
2.口は、相手が喜ぶことを言おう。
3.耳は、相手が言っていることを最後まで聞いてあげよう。
4.手足は、人を助けるために使おう。
5.心は、人の痛みがわかるために使おう…

そう誓いました。
僕を助けてくれた多くの人がしてくれたことを
今度は僕がしよう、、、

そう思って生き方を変えると、人生がうまくいきはじめました。

『苦しいときこそ成長の証』なのです。

・「どん底」でも、考え方を変えるだけで「幸せ」になります

今、現実に起きている出来事すなわち「事実」をどう受け止め、どう解釈するかにつきると思います。「ポジティブ(前向き)」か、その反対の「ネガティブ(悲観的)」か。

「どちらの意識で事実をとらえるのか」によって、その後の人生は大きく変わってしまうようです。

脳卒中を発症して「片麻痺・言語障害・片頭痛・感覚障害・高次脳機能障害」を経験し、健康なときと比べてできないことの多さを基準にして嘆き苦しみ悲しみながら生きるのか

それとも「命が助かり、この体験を貴重なものとして感謝の気持ちを持ちながら生きる」のか、そのどちらかです。

「脳の病気になった事実」は変わりません。

僕は、ポジティブ(前向き)な気持ちで居続けるために、やっていた考え方がありました。それは「生きているだけで丸儲け」「あの時死んだと思って今はボーナスタイムなんだ!だから思いっきり生きてみよう」という考え方でした。

そう思うようになると、呼吸できている喜び。生きている喜びを感じることができるようになりました。

すると次第に動かなかった手や足が動き出してきて、立ち上がり、歩けるようになったのです。

 

人生は株価と一緒!脳卒中は神様が与えてくれたプレゼント!

僕はこの記事を書いている時点では37歳です。
人生の大先輩からすれば、僕なんかまだまだ若造に見えるかも知れませんね。

ですが、
脳出血と脳梗塞を立て続けに味わったことから、多くの人よりかは酸いも甘いも知ることができたと自負しています。

決して裕福な家庭ではありませんでしたが、やりたいこと、好きなことをやらしてもらえました。

受験では第一志望に合格したり
第一志望の会社で働くことができたり
恋愛面でも不自由することはありませんでした

もちろん嫌なこと、辛いこともありましたが
結果的には右肩上がりで人生を満喫できていたと思っています。

ですが、、、、
脳幹出血と脳梗塞の発症で
人生のドン底を味わうことになったのです・・・

この経験は今まで生きてきた中でも
圧倒的な苦難でありました。

さすがに今回は這い上がることができないんじゃないか?
そう思ってしまうくらいに辛く、厳しい試練でありました。

だけど、今までの人生の経験から
人生の良いときもあれば、辛いときもある!

「人生楽ありゃ苦もあるさ~」と鼻歌でも歌って乗り越えよう!

この逆境を乗り越えることができたのなら、
その先にはもっと輝かしい人生が待っている!

そう、思うように頭を切り替えたのです。

そして実際に脳幹出血と脳梗塞の後遺症を乗り越えた先には、

輝かしい人生
輝かしい仲間
輝かしい家族
輝かしい仕事
が待っていました。

決して甘くはありませんでしたが

人生は株価のように上下にうねりながら進んでいくものなんだなぁと思えました。

僕から言えることは、すべては考え方次第だと言うことです。

病気を発症してしまったことに嘆くのか、チャンスと捉えるのか、

人生ずっと上がりっぱなしはありませんが、下がりっぱなしもまたありません。

強い気持ちをもって生き抜いてください。

 

大病は良い人生経験になります

僕自身の経験からぜひ皆さんにも知っておいてほしいことがあります。

それは「大きな病気やケガをすることは必ずしも人生のマイナスにならない」ということです。僕自身、二度の大病を経験したことで、今振り返ってみると人間として一皮も二皮も剥けたと思っています。他人にも親切になれました。街中で困っている人を見ると放っておけなくなりました。

もちろん、以前にもまして家族や友人にも優しくなれました。無用な人間関係のトラブルにも巻きこまれることもなくなりました。信頼できる多くの人たちに囲まれ、笑顔で過ごせることも多くなりましたし、一日を感謝の気持ちで過ごせるようになりました。

仕事で無理難題を要求されることももちろんあります。そんなときでも、「あの大病を克服できたのだから」と、自信をもって踏ん張ることもできるようになったのです。『人生山あり谷あり』とはよく言ったもので、長い人生生きているなかで幸せなときもあれば辛く苦しいときもあります。

脳幹出血・脳梗塞を発症したときは、まさに人生のどん底に突き落とされたようにお先真っ暗な気持ちになりました。でも考えを変えて「人生はクリア型のゲームだ」と思って、困難に直面したときこそ、諦めたくなったり逃げ出したくなったときこそ、歯を食いしばって乗り越えればその先にはきっと成長した自分がいます。僕は今回の経験で、一回りも二回りも大きくなれたと思っています。

「ピンチはチャンス」です。脳の病気は、あきらめなければ乗り越えられます。

このレポートには僕の体験談を余す事なく書きましたが、それでも個別具体的な事は書けていません。

ですから、闘病中に分からないこと、不安なことなおありましたら、遠慮なく連絡をくださいね!

僕は、僕と同じように社会復帰できる方を1人でも多く作りたいと思っていますし、それが生かされた人の使命だと考えています。

ぜひ、あきらめずに、少しだけ強い気持ちをもって生き抜いて、この病気を勝ち抜いてください。

今まで何の努力もしてこなくて、大した能力も無かった僕でも乗り越える事ができたのですから、あなたもきっと乗り越える事ができると思います。

最後まで長文を読んでいただきありがとうございました。

 

脳卒中で苦しんでいるあなたと、あなたの家族を、私の経験で救いたい基金

最後に僕の活動についてお話しと、ご協力のお願いのために文章を書きます。

脳卒中を発症すると重度の後遺症が残ってしまうと言うイメージであったりとか、お医者さんの説明でものすごく落ち込んでしまって身動きが取れていないような人がたくさんいることを感じています。

そのような人たちに脳卒中と言うのは必ずしも後遺症が残る病気ではないと言うことを知ってもらい、希望を持って闘病生活を送ってもらいたいと願って僕はこの活動をしています。

ただ僕がこうしてLINEなどを使ってお届けしている情報は、インターネットの広告を使ってお届けしています。その広告費は僕自身のお小遣いであったり貯金から捻出しているのですが、このままでは継続してお届けすることが難しくなってしまいます。

そこでこの度、僕のこのレポートや体験を通じて、少しでも役立だったと思っていただけましたら、次のご家族の為に繋げるためにご支援いただけませんでしょうか?

もちろん強制でもありませんし、僕としてもお金をそんなに無理してまで払っていただく必要ないとは思っています。

ただどうしても脳卒中と言う病気は毎年多くの人がかかってしまう病気です。

そのような人たちに少しでも希望を持って前を向いて頑張ってもらいたいと思っています。

下記のURLより一口3000円からご支援いただけます。

不躾なお願いかも知れませんが、今後ともこの活動を継続していき一人でも多くの方の手助けになりたいと思っています。

何卒宜しくお願い致します🙏

ご支援いただける場合は下記のリンクよりお願い致します。

https://fundraising.com

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