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闘病中一番身近にいてくれた母との対談

母との対談内容を記事にしました。

この記事を読むことで、患者本人にとっても、患者を支える家族にとっても、脳卒中の後遺症を克服していくうえで、何が重要で、何が重要でないのか、まず何をすべきで、次に何をすべきなのか、が明確になる事をお約束します。

母は、僕が脳幹出血で倒れた時も、またカテーテル検査の合併症で、失語症になってしまったときにも隣にいてくれました。そして、そこからの驚異的な回復の様子もずっと隣で見ていました。

そんな母との対談内容は、まさしく本書の中でも最も価値の高い情報だと自負しております。

僕は、この音声を聞くことで多くの人の手助けができると信じてやみません。

長丁場の内容にはなりますが、ぜひご一読いただければと思います。

音声の文字書き起こし

僕:「こんにちは、脳幹出血と脳梗塞の後遺症を克服した上西です。今日は隣に僕の母が来てまして、ちょっと僕と母との対談動画を撮っていきたいと思いますので、何か病気の闘病生活、入院生活の参考にしていただければと思います。はい。では母、「こんにちは」

母:こんにちは

僕:名前は(笑) お名前は(笑)

母:上西信也の母です。

僕:上西真知子さんですね。はい。えーっと僕が2011年1月20日に脳幹出血になったと思うんですけれども、たぶんあのとき夜中だったと思うんですけれども、母に連絡したときどんな気分でした?
母:最初はちょっと信じられないというか、まさかという感じでした。
僕:その救急車すぐに呼んでくれたと思うんですけれども、うーん、何だったかな脳出血だと思った?

母:最初は脳出血か、それともちょっとワインを飲んだとか言ってたので

僕:あー、そうやったね

母:ちょっと日頃からあまり飲まない子が飲んだので、脳出血かそれとも、あのー

僕:脳出血…

母:ちょっと酔ってるのかなという、ちょっとあまり信じること、ちょっと自分の頭のなかでは、ちょっと心配なようで、軽~くちょっと考えてしまっているところもありました。

僕:まぁ、現実から逃げたいというか、僕も、まさか脳出血になるなんて思ってなかったから、その救急隊が来て、「もう、これ脳出血ですね~」って言われた時はすごいショックやったし、だんだん体もおかしくなっていって、左手とかも動かんようになって、左足も動かんようになって、ついには言葉も喋られへんようになってから、あ~ついにこれは本当に脳出血やなって自覚して、まぁ、早く呼んで良かったね~って話しやんね。今から考えると

母:そうですね~、まさか我が子がこういう病気になるとは信じられなくって、救急車で運ばれて、病院行って、処置してもらってるときも、何か飲み過ぎ、飲み過ぎてまた元気な声出して戻ってくるんじゃないかとか、ちょっと軽~く考えてたり、でもすごい不安で不安で仕方なかったですね

僕:僕は救急車呼んでもらって、まぁストレッチャーに乗せられて救急車ですぐに搬送されたけど、その搬送されたときに、何かこの何だろう、よくドラマで出てくる瞳孔を、目の瞳孔を確認するのと、急に酸素マスクを当てられた瞬間に「あぁ、本当に死ぬんだ」って、で、救急車走り出してたぶん一分後ぐらいには意識を失ったんかな。その時に母がいて、何かもう母の顔ももう見えないくらいにグルグル目が回ってて、で、まぁ、なんか「ありがとう」って言って、死んで、ちゃう、意識を失っていったんちゃうかな~。それが最後やったかな~。意識があって、うーん、で、たぶん最初行ったところの病院、まぁ守口生野病院っていうところは、僕全然意識がなくて、気付いたんが大阪の都島区にある総合医療センターていうところも、ほとんど、どれくらいかな意識が戻ったんは、

母:どのくらい~

僕:なんかICUにおったときとかも手を振っとったりなんかしてたんかな俺

母:なんか本人はしてましたけど、ちょっと訳のわからん言葉を、ちょっと夢というか夢のような見ているような話しをしたりとか

僕:で、まったくそのとき意識は、、、たぶん喋っとった、筆談とかしとったんかな?ICUのときとか?

母:せやね、筆談、話したり、筆談というかあれやね、ひらがなで、ひらがなの所を

僕:あー、指して?

母:指して、それで言葉に繋げてたという感じで、

僕:まったく記憶ないわ

母:筆談はまだそのときは、ICUでいてるときは筆談はまだまだ無理でした。

僕:あー、そうやってんや。

母:それから、何日後かな、一週間、どうやったかな?で、重篤、ICUを出て今度は重篤部屋の方に移動して

僕:そのICUおったとき、まったく記憶なかったけど、重症部屋のときはかすかな、たぶん色んな人来てくれたんやろうけど、ウチのその母親の声と今の嫁やね、妻の婚約者の時代の声は聞こえとったから、これたぶんいろんな意識ない人の患者さんの意見とか聞いても声とかは届いているみたいやね~。で、なんやろう、入院中もたぶんMRIとかも何回も入ったんちゃうかな?そのときの音も聞こえ取ったから、お経かなんかに聞こえとったんかな~?

母:そういえばね、MRI受けた後になんかお経が、お経が聞こえるっていうから、いやこの子なんかあのー、おかしなったん違うかな(笑)。心配してましたけども後で分かったらMRI受けたときは、まぁ、お経の木魚を叩く音にも聞こえる

僕:たぶんそやろね。それがMRIの音やったんやろな~。MRIなんか今まで受けたことないから、まったく分からんかったけど、まぁ、音は結構やっぱり聞こえてたというのは、もう、意識が無くても聞こえてたんで、まぁ、この音声聞いている人が意識ない患者さんがいるんだったら、声が届くっていうのを知って、理解したうえで話しかけて欲しいなぁとは思います。

僕:で、そのあとやね。まぁなんでそこまで、お医者さんからはあれかな?もうあかんと言われとったんかな?

母:もう、お医者さんには、たぶんもう一生病院生活、だから飲み込み障害がすごいきつかったんで、だからもう、家で連れて帰るのはたぶん、もし命が助かったとしても、もう一生病院での生活でしょうね。って言われてましたね。

僕:そうなんやー

母:だからあのー、手術、脳幹、えーと、脳幹出血だから脳幹のところの手術をするのに、ひとつ間違ったらこう命を落とす手術になってしまうから、どうしますか?ということでしたけど、

僕:恐いな

母:でも選択肢としたら、もう手術して、するしかない言う感じの方を選んだので、もしこれで命を落としてしまうかもしれないけども、それすることによって、あのーね、期待持てるんじゃないかなということで、迷いは全然なかったですよね。

僕:それは手術を受けるっていう?
母:手術受けて

僕:で、そっかー、究極の選択ではなかった、、、その放っておいてもしゃーない。

母:放っておいても、でも手術を受けることによってこの子が死んでしまういうこともありましたけれども、でも手術を受けないと一生、一生びくびくしながら、いつ死んでしまうか分からないと思って一生過ごすよりも、手術して元気になれる。どこまで元気になれるか分からないけれども、そっちの方を選びました。

僕:まぁ、おかげで手術を受けて、まぁ手術が成功したからといってたぶん後遺症まで治らんかったと思うんだけど、命は取り留めることができた。それはそう思うね。究極の選択ですね。

そのあとやね、まぁ、手術が終わった後に言うたら僕は、なんだろう意識がなかったしあんまり、一命取り留めてもらった後、結構体も重たかったし、たぶん動かんかったんちゃうかなほとんど、「麻痺してる」って言われ突端かな?左半身は?
母:そうやね。手術をした後も、えーっと、どんな感じだったかな?だからまだそのころは飲み込み障害が、だから水分も取れない、、、

僕:あーせやね。あれは大変やった。

母:ねぇ、だから手術してもどの程度回復できるのかというのが全然分からなくって、

僕:あの、嚥下障害は一番しんどかったかな~。水も一滴も飲まれへんし、めっちゃお腹空いてるし、あれは本当に地獄やったね。一番地獄やったで、それで個室におるときはまだましやったけど、その流動食の状態で、大部屋に四人部屋に移されて、ほんじゃ向かいの人がバリバリポテチ、ポテトチップス食べてるし、こっちは鼻から流動食。あれは本当に地獄やった(笑)。水も飲まれへんし、唇の皮もめっちゃ取れたよ。唇全部取れるくらい唇の皮取れたから、相当体重も何キロ落ちたんかな。20キロ、30キロは落ちたんちゃうかな。骨と皮やったもんな。あれはしんどかった。

母:せやね。そのぐらいのときかな。勝手にベッドから降りたとか?
僕:そうそう。覚醒?なんだろうね。しんどくって、たぶん肺炎なって、熱40度くらい出て、でしかも、なんだろう、自分が歩けると思ってたんやろうね。ベッドから降りて、トイレ行きたかったんやあれ、

母:あの時はまだまだ歩ける状態じゃ、、

僕:うん。ないと思う。

母:ね、なかったのにベッドから

僕:そう、腕の力、右腕の力はあったから這い上がれたと思う。左半身はそんな力ないから。登って降りようと思ったら、なぁ、

母:あれ、どんなんになったん?落ちたとか?それとも

僕:落ちてはない。足付こうと思ったら全然筋力無いから、そのまま崩れ落ちて、、、まさかやったね。看護師さんにだいぶ怒られたんちゃうかな。
母:そうやね(笑)

僕:そのあとは、脱出できひんようにくくられて、くくられてはないか、なんかムシ、警報機が鳴るような装置付けられて

母:あーあー、そういえば付けられていたね(笑)

僕:で、まぁ、なんだろう、そういう結構厳しい状態やったけど、まぁ、僕がここまで這い上がれて来たというのは、ひとつは、ひとつというか絶対にあるのは、たぶん一個も落ち込まへんかったことちゃうかな?と思ってて、

母:それは不思議やったね。

僕:もう、絶対こんなところで死んでたまるか!と思ってたし、絶対に克服できると、なんか分からへんけど、たぶんそのお医者さんからは直接言われてないけれども、たぶんかなり厳しい状態と言われとったんは、薄々感じとったけど、でも、なんか人生、生きていく中で、良いこともあれば悪いこともあるやんか、で、この病気ってたぶん一番下の底辺やから、絶対これ以上悪くならへんし、これを這い上がったら強くなれる、人間になれるんちゃうかな~と思ったから、そう頑張れたかな。

母:そやなー、落ち込むことはなかったし、こっちもこんだけ元気になれると思ってなかったから、心の中ではもう一生この子、障害を持った子を、生活していく、生活していかないといけないことで、それでどうだったかな。福祉の方とかは相談に行ったかな?

僕:行ってるかもしれないね。

母:この子と一緒にね。生活していくには経済的なものもあるし

僕:そやね。何年もたつとそりゃな~、どうなってたんやろ。考えると恐ろしいね。

母:こっちも何かな、いいながらもう心臓はバクバク、バクバクいう感じだったけど、でもそんなにこっちも落ち込むというのは、また落ち込むような余裕がなかったんかな。なかったと思うけど、でも、まぁこれも周りの人の手助け、力、家族とか、親戚、病院の医療関係の人

僕:あそこ良かったよね~。医療センター。看護師さん、ドクターみんな協力して

母:だから主治医の先生がすごい良かったな

僕:良かったね。まぁ、この後に脳幹出血の後に、まさかのカテーテル検査の合併症で脳梗塞を発症してしまった先生やねんけど、まぁそれでもあの先生のこと信頼してるから、あの先生にやったらまぁ死んでも、あの先生にやったら、手術して死んでもまぁしゃーないなーって諦めれるくらい信用してるかな~

母:でも、そういう信頼できる先生が主治医になってくれてるそういうのってすごい幸せ、ある意味幸せやわな

僕:あれも、たぶん、あの先生もたぶん他の人から見たらあかん先生なんかもしれへん。
母:どうなんやろうなぁ

僕:たぶん、結構、、、。たぶんな、こっち側が信頼を置いてるから先生も感じてたぶん信頼を置いてくれてると思うねん。

母:そやな

僕:だから持ちつ持たれつっていうか、結構なんかお医者さんに反抗する人とかって多いやんか、患者さんとか、あぁいうタイプはやっぱお医者さんからも信頼されへんから、

母:せやな。だからこっち、患者側も、

僕:そうやねん。

母:この子が病気、入院して1日か2日目ぐらいの時かな、家族で主治医先生からいろいろ説明受けるときも、入れ替わりこっち家族が同じメンバーで聞くんじゃなくって、一人が増えたりとかして、そしたらこう内容が分からなくってこう同じことを先生に尋ねると、先生もちょっとこう「同じことを聞くなよ」という感じで忙しいのに、ちょっと機嫌悪かったけどね。でも家族でいろいろこう聞きたいことをメモ書きにしていったりとか、でこっちも家族の方も一生懸命こう病気について知りたいとか、そういう風な家族側も真剣なんだというのを見せると先生ももう態度が180度位変わって、すごい忙しいのに丁寧に説明してくれたので、やっぱり病気と向き合うのには、家族も色々と勉強して真剣にならないと、先生も真剣にならない。だから先生を信頼して

僕:やっぱりその患者自身もやし、患者の家族の人もやっぱりなんやろう、先生に100%頼るんじゃなくて、ある程度勉強するなり、聞いたことをちゃんとメモして、やっぱり受け身、100%受け身の人ってやっぱり先生から嫌われると思うねんな。とくに先生とか勉強とできる。してきた人やから、そういう自分で考えない人、たぶん相当嫌いやと思うわ、

母:せやなー、あのときに先生が態度、いいようにメモというか聞きたいことメモして、みんなで話し合っているとやっぱり先生も態度変わったもんな。すごい真剣に先生もしてくれて、だからやっぱ病院で先生を信頼、家族も勉強して前向きに

僕:やっぱり先生と、、、

母:看護師さんやな!

僕:看護師さんやな~。看護師さんも大きいよな。

母:大きいよな、看護師さん、担当の看護師さんなんかも凄い良かったもんな

僕:そうそう。あれもな、運なんかもしれへんけどな、搬送された病院が、でもたぶん、やっぱり患者と家族の話し方によってはやっぱり態度は変わるから、持ちつ持たれつやね。

母:だから、まぁ、医療センターに運ばれて、だからこんだけ元気に

僕:せやね~

母:でこっちも先生もやし、看護師さんともすごいこう近い距離で、向こうも近い距離で接してくれたのでだからすごいもう、ねぇ、信頼関係、すごい心強かったよな。

僕:仕事でも病気の克服でもたぶん、やっぱり人との付き合いって信頼しかないから、

母:せやなー

僕:信頼関係をどれだけ築けるかていうところが大事。とは言っても、俺ここまで克服できたのは、そのおかんの力はかなり大きかったよ。

母:どうやろなー

僕:やっぱ覚えてるし、

母:家族みんなでやわな

僕:とくにおかんと、今の妻の支えはでかかったね。この人の為に頑張ろうと思うからな

母:せやなー

僕:だからあの、俺は結構そのなんやろ、いろんな人に毎日お見舞いに来てくれてたからまだ助けられたけど、入院してる人でも、本当に週に1回くらいしかお見舞いに来てくれてない人とかおるから、あーいう人らは本当に辛いやろうな、何をどう頑張ればいいんやろう、何を目標にして頑張ればいいんやろってところで、ちょっと気力は弱まるとは思うから、できるだけこの音声を聞いている人、家族の人多いから、お見舞いには、患者本人としてはね、頑張って行って欲しいな、遠くても

母:せやなー

僕:それが一番の薬やと思う、

母:せやな、お母さんも看護師さんとか周りに人からも、あの、な、看病している人の方が、今度は倒れる、病気になるから無理して来ないように、患者さん本人は病院で治療を受けてるんやから、だから家族の人はつい一生懸命行ってしまって、それで体崩すこともあるから、そこは気を付けてね~って言われたけど、でも行かないと気になるし、

僕:でもそこ難しいとこやな~。だって、看護師さんは実際に病気をしてないから、だから分からへんやん。

母:で、また合ってるところもあるけどな、そういう心配して、それでこうちょっとある程度日にち経った時に

僕:ガタくるかも

母:ガダちょっとね、体もやし、精神的に来るのを見てるからやろな。でもね、、行かないと、顔見ないと逆に心配やし、

僕:片道40分か50分位のところ、車で毎日来てくれて、ほぼ毎日やね。来てくれて、

母:そうやな。

僕:たまに腰痛めたりとか、でもあれだいぶ先かな、2~3か月先?

母:2か月後ぐらいか

僕:ま、とりあえず急性期の時は、ほんま毎日来てもらって、あれめっちゃ助かったわ、これ今でも、あれが無かったらかなりしんどかったと思う、寂しいし、

母:行かないと、後で、その時に行かないと、後で、後で行ったら良かったと思っても遅いから、ま、それは息子のためもあるけど、自分のため、親としての自分のためでやから行けたんかな

僕:じゃぁ、次に、気になるところは、聞いている人が気になるところは、リハビリやと思うねんけど、体を戻していくにあたって、ま、俺が考えることと思ってることと、おかんが周りから見てての印象みたいなのを言って欲しいねんけど。俺はリハビリ頑張ったと言っても、そうなんだろう、スポーツも今までやってきてなかったから甲子園球児みたいに頑張ってはないと思うねん。なんかスポーツ大会で優勝するぐらい

母:でもリハビリでも、医療センターでのリハビリかな、急性期のときは、もう見てたらもうこんなハードなこと、この…

僕:汗かいとったな(笑)

母:この座ったりとか、そんなにまだちゃんとできない子が、こんな厳しいリハビリをするのかな~っていうので、ビックリしたけれども、それをやってたかな。でもそこのスタッフの人もすごい優しく、

僕:あー、笑いながら

母:優しかった。でもリハビリの、本来のことは厳しく

僕:結構リハビリって優しいところもあるらしいねんて、病院でも、でもその優しさって微妙やなと思ってて、やるときやっとかないとあかんよね~

母:だから、あそこのリハビリは、医療センターのリハビリの先生は言葉とか顔の表情は優しく、する内容は

僕:超ハードやったね(笑)

母:超ハードやった

僕:なんかやたらとしんどかったイメージある。リハビリの時間になったらすごく気分が下がってたもん、さすがにこの俺でも、あのなんやろ、自衛隊みたいな感じ

母:でもこっちも傍で見てて「うわぁーすごー、こんなんをさすの」とか、でまたそれをやっている息子を見て凄いな、こんなんできるんやなーと思って、でも先生とかがこうにこやかな顔しながら、こうしてくれてるから、そういう感じやったからか、不安とかはなかったかな。

僕:たぶん、結構麻痺、麻痺まではいかんかったと思うけど、完全麻痺にはならんかったけど、結構手の動きは、たとえばその左半身、とくに左手を動かそうとしていたら、全然違うところにいっていたから、それを補正するのは、やっぱリハビリしかない。脳幹出血のときはそんな感じで乗り越えたかな。まぁ、ボバース病院やね、森ノ宮病院のボバース法の、あそこ行ったら結構ドーンと回復したよね。

母:でもあのときもまた毎日リハビリはあって、それ以外に自分でする自主練

僕:自主練やってたね~

母:それを結構やってたみたいよな~、

僕:なんか回復する人としない人って、あーいうリハビリ病院行ってたら結構分かってて、結構動かんかった人、手とか動かんかった人でも、退院したら結構、普通に動いている人もおったし、その差って、やっぱ自主トレーニングの差やと思うねん。

母:そやな、だからもうできるときに、できるときに頑張って自分の為に体を動かすということが大事やし、後で、後でいくらやる気になっても

僕:遅かったりするもんな

母:ちょっと遅かったりするから、だから急性期のときと後は、ある程度の期間でリハビリをして

僕:そういうたった半年だけ、発症してリハビリまでいくのが2か月位入院しとったら、残り4か月間だけしかタイムリミットはないから、まぁ、一般的にはそう言われてるけど、それだけの期間なぁ、頑張って本気で自分の体のことやから、結構テレビとか見て入院中、結構雑談してる人とかいっぱいおるけど、まぁ、そこは自分の体やし、周りの人の介護とかも大変やから、まぁ本気でやってる方が自分も納得できるし、家族の人も結局納得できて介護も協力的になってくれるんちゃうかな?そのときにサボっとったら介護する側も、ちょっと頑張れよ!と言ってしまうかもしれんよね。

母:せやなー

僕:やっぱり人の気持ちってすごく敏感やから、その辺はあるよな。で、結局、歩けるようになって退院したけど、8ヶ月位で退院したけど、職場復帰もして、職場まで歩いていったけど、通勤約一時間くらいかけて20分位かけて、40分位かけてかな、電車20分乗っていったけど、最初は横歩きみたいな感じ、杖歩行でもフラフラしてるし、「ビックリした」って言われてて同僚とかに、「大丈夫?こんなんで来て?」って言われて(笑)
まぁ、覚えてるかな、でもとりあえず歩く僕生活が一番のリハビリやって思って、割り切って、頑張って歩いたら5年経った今、ほとんど分からへんよね?

母:そうやな

僕:分からへんし、自転車にも乗れるようになったしね。

母:それはビックリやね~

僕:リハビリ病院の時に自転車乗ったけど、思いっきりこけたからね。2回くらいこけたからね。リハビリの先生があんなん、リハビリ中にあんなにこけたら、リハビリの先生もだいぶ怒られるんやろうけど、内緒にしとったけど、絶対に自転車は無理やと思ったもんね、綱渡りみたいやったけど、やっぱり継続は力なりかな。まぁ、それで戻ってきたと、じゃぁ、ちょっと話を変えて検査入院をしたやんか?

母:あーあー、ね、

僕:あのときは本当にまさかやったけど、

母:ほんまやな~

僕:あのー、リスクは高いと言われれて、まぁ、カテーテル検査で脳幹に出血したところにカテーテル、造影剤流してCTで写して、脳幹出血発症した時の血流状態を見る検査をしたんですけれども、そこでまさかのね、脳梗塞やね、あのとき合併症という言葉を知らんかったから、医療事故としか思わんかったけど、

母:だから、若い人はならないとかって言ってたけど、でもリスクは、その造影剤の影響で脳梗塞を発症する場合もあるというのは聞いていたけど、まさかと思ってた

僕:他人事と思ってたよね。自分の検査やったけど、まさかなると思わんかったよね。で、なにより驚いたんが、信頼している医者じゃなくて、研修医みたいな人が、医療の発展のためには仕方ないんやろうけど、もちろんその助手として主治医がおって、本当の執刀はその研修医みたいな人がやってくれて、最初から逃げ出したいと思ってたもんね。

手術台、検査と言ってもあんなん手術やから、すごいよ。看護師さんみたいな人が6人くらいおって、で、執刀する研修医と、あと造影剤流す人とか、CTを撮る人とか、8人か10人位おって、で検査中のモニターとかも10個位あるからね。ほんで、足の動脈からカテーテル入れるから、血が吹き飛ばんようにビニールで覆われてたからね。2メートルくらいの、

母:すごいね。

僕:めっちゃ怖いよ。逃げ出したい気持ちやったけど、あれはあれで結構問題やと思うけどな。だってその先生とお願いしますってサインしてる訳やから、いくらそれはやっぱり言わなあかんよね。全然違う人が執刀するんやったら、

母:なー、うーん、

僕:患者の意見としては、それは思うね。前、違う病院の講演会した時の看護部長にそういう話をしたら、それは医療のおかしいところです。そこは直さなあかんって言ってたから、ちゃんと、その主治医と契約したことやから、違う人が執刀するのは、それはやっぱり問題やから、「うちの病院でもちゃんと説明して、それは看護師がちゃんと説明してないから悪い」って言ってたけど、まだまだ医療業界ってそういうところがあるんやな。話はちょっと脱線しましたが、あのときはだって、検査は一時間で終わるのに検査終わったら頭めっちゃ痛いし、目片目、右目消えてるし、見えへんようになってるし、

母:せやな戻ってきてちょっとしてから

僕:頭死ぬほどいたいし、いきなり検査終わったらMRIに入れられて、いきなり脳梗塞やったもんね。

母:ま、あれはまさかよね。

僕:まさかやわ。本間この目の視力どうしてくれんねん!って本間怒鳴りたかった。まぁ、びっくりしたね。

母:言葉も?

僕:そう、その日の晩に携帯で、そうそう婚約者に「ありがとう」とメール打とうとしても打たれへんし、文字読まれへんし、びっくり!みたいな。

母:だから、その、あくる日とか「ひらがな」?童話買ってきて、それも読まれない?

僕:読まれへんかった。あれもたぶん、放置しとったらリハビリせーへんかったら、たぶん覚えられへんままに終わってたんちゃうかな、と思うと怖いな。

母:ほんまやなー

僕:でも、ここで一つ言えることは、やっぱり急性期のときのリハビリの量やと思う

母:そやな。

僕:だって、入院生活って基本暇やから、朝から晩まで時間あるわけやから、で、STとかリハビリとかも1時間位しかないし、残り起きてる時間で言ったら9時間くらい、何時間かあるやんか、そのあいだに何をするかやねんな。俺ずっと漢字の書きうつしとか、ひらがなやってたけど、退院したからは、本、結構真面目な大人の本を、2冊3冊ペースで読んでたからね。内容分からず、とりあえず文字を覚える。半年間でたぶん300冊か400冊くらいは図書館に借りて読んだから、結構リハビリ頑張ってる人って、いろんな人の意見を聞くねんけど、その「頑張ってます」という言葉には、なんやろ、結構なんていうんかな、抽象的というかぼやっとしていて、「頑張ってます」って、本10冊読むのも頑張ってますやし、本300冊読んでる人も頑張ってますやんか、やっぱりその絶対量が少なかったら、なかなかいかへんと思うねんな。リハビリして治る、絶対に治るっていう訳じゃないけど、やっぱある程度の量はいると思うねんな。

母:体のリハビリも動かさないといけないし、また頭、思考、そういう風なのも頭を使わないと考えたり、それすることによって、ちょっと障害を受けているところが戻ってくる、回復するような

僕:だって脳って3%ぐらいしか使われていないって言われているから、残り97%あるんやったら、絶対に覚えたろうと思ってて、まぁ、結構その辺でこう「あー」ってなってリハビリとか、やらん人って多いと思うねんけど、

母:でも、もったいないよな。

僕:もったいないよな。で、俺って結構なんやろ、一般常識ってものすごく嫌いで、なんかたとえば、「もう治りません」とか「無理です」ていう話しあるやんか、脳幹出血とかでも、でもそれは統計的にその人らが無理なだけで、もしかしたらその人らの努力量とかが少ないから無理なだけであって、俺は頑張ればいけるんじゃないかと思ってやったから、じゃ実際ここまで回復したから、あんまりその多数決の意見にはあんまり従わへんかったし、お医者さんの意見も悪い意見はあんまり聞かんかったかな。

母:でもそれが良かったんやな~

僕:いや、聞かんかったからといって、そのアホみたいにはむかうんじゃなくて、自分のなかで考えて答えを見つけて、結局その自分で考えれない人というのは、やっぱりなかなか難しいんちゃうかな。自分で考えて、自分の考えたことを信じれる人じゃないと、なかなかこれは克服するのは難しいんちゃうかな。キツイねんけどなこの話って、正直辛い話やねんけど、甘くないねんけど、現実はそうやと思うねん。なんか病気の克服って甘い、甘ちゃんが絶対に克服なんてできひんし、お金あっても克服なんかできひんし、やっぱり本人の気力と努力やね。必要になってくる。

僕:まぁ今日はこれくらいにしときましょうか、何かの参考になれば嬉しいですけれども、これが病気を克服した、脳幹出血と脳梗塞の言語障害ですね、克服した患者自身の生の声です。一般的な本に書いてあるものとか、先生の言っていること、リハビリの先生が言っていることとは少し違うと思うですけれども、これは本当に克服した張本人の言葉ですので、やっぱりこれを参考にして欲しいなと思って、今日こういう風にして動画に撮ってみました。はい。ではありがとうございました。

母:ありがとうございました。

 

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