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28歳のときに脳幹出血発症

2011年1月20日

僕、上西信也は大阪府在住の27歳。
システムエンジニアとして、営業からシステムの設計、プログラミングをしながら忙しくも充実した日々を過ごしていました。ちょうどその頃、2年ほど付き合った彼女(以降妻)と結婚することを決め、結婚式場探しをしていました。

そして、いくつかの式場を巡ったうち、大阪の難波にある結婚式場が、立地も条件も良かったので大安の日で仮予約をしました。その日は遅くなったので、ファミレスで夕食をとり、結婚式に向けて誰を呼ぼうか、ドレスやお花、料理はどのグレードにしようか。なんておそらく歴代の結婚式をあげてきた人たちと同じような会話をしていたと思います。

けれども、僕たちは計画通りいかなくなってしまったのです。なぜなら、その会話が終わった6時間後に、僕は脳動静脈奇形破裂(AVM)による脳幹出血を発症してしまうからです。

 

脳幹出血発症

帰宅するとすでに日付は変わっていました。翌日から仕事でしたが、結婚式の仮予約をしたあとでしたので、若干興奮状態にあり簡単には寝れそうにないなと感じていたので、睡眠薬代わりに赤ワインを飲んで寝ようと考えました。

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何口か飲んでいるうちに良い感じに眠気が出てきました。

「ふぁー。これで今日もぐっすりと寝むれそうだぁ。」

そう思ったとき、急に風邪のような倦怠感がでてきました。

ですが、ちょうどその時は1月だったので「寒い中をずっと歩いていたから風邪でも引いたのかな?」と、特に心配することなく再度ベッドに入りました。

しかし、容体は分刻みで悪くなっていきます。そしてついには、吐き気もしてきたので、ベッドから降りてトイレに行こうとするんですが、平衡感覚がなくなったのか、壁伝いにしか歩けなくなっていたのです。

「これは悪酒にあたってしまったな」と赤ワインを飲んだことを後悔しました。

その後やっとの思いでトイレに辿り着きますが、とくに嘔吐することもなかったので、再度ベッドに入ります。

ですが、体調はさらに悪化していき、うだされるようになってきます。そして夢なのか覚醒してしまったのかわかりませんが「斧を持った死神が僕を切りつけたのです!」

「ズバッ!」

その瞬間、体に雷が落ちたような衝撃が走り、手足が硬直し始めました(まるで感電しているような感覚でした)。

一瞬でこれはただ事ではない!ことを察しました。幸い当時は、実家暮らしでしたので、隣の部屋にいる母に携帯で助けを求めます。

母が眠たい目をこすりながら「どうしたの?」と聞き、僕は「ただ事ではない、すぐに救急車を呼んで!」と母に伝えます。

母は訳も分からず、救急車を呼んでくれました。十分ほどすると遠くの方から、救急車のサイレンの音が聞こえ始めます。

ダダダダダっと救急隊員が入ってきて、「どうしたのですか?大丈夫ですか?」と話かけてくれます。

僕は「いや、ちょっと赤ワインを飲んでから・・・」と伝えようとするのですが、すでに呂律が回っていなくて何を喋っているのか伝わりません。

すると、救急隊員は慣れた手つきで僕の後頭部を触り「おそらく脳出血ですね。すぐに搬送します」と一言。

僕はその一言で、一瞬にして頭が真っ白になってしまいました。

夢であって欲しい、夢であって欲しいと願いますが、残念ながら夢ではありません。

 

脳が壊れていく

もうこの時点で、僕の体は僕の意志通りに動かなくなっていました。少しでも腕を動かそうとするなら、天井めがけて腕が上がってしまったり。足も自分の意思とは違う方向に動いてしまうのです。

歩くことはおろか、立ち上がることすらできなくなっていました。しかたなく、救急隊員に、抱き抱えられるように担架に乗せてもらいます。

救急車に乗せられる前にちょうど夜空がぱっと見えました。

「あー、この星空を見ることができるのもこれで最後か・・・」と悲しくなったのを覚えています。

救急車に乗せられるやいなや、酸素マスクを口に当てられました。搬送先の病院はすでに決まっていたようで、すぐにサイレンを鳴らして走り始めます。車が走るたびに揺れますが、その揺れが僕の脳をさらに壊していきます。

突如、ダンプカーに踏まれたかのような強烈な頭痛が僕を襲いました。そして、心臓が破裂するほど鼓動しはじめ、目もグルグルと回りはじめました。さらに体が燃えるように熱くなってきます。酸素マスクを当てられているはずなのに、ぜんぜん酸素を吸うこともできなくなり意識が遠のいてきました。

救急隊員にもう駄目だと目で合図を送ると、ペンライトを目に当てて瞳孔を確認しはじめました。医療機器があちこちで警告音を発しているのが聞こえます。

「もう限界だ。これ以上は持たない・・・」

ふと隣を見ると、悲痛なまなざしで母が僕を見ていて、僕の手を握り締めながら、「信也!信也!信也!」と名前を言っているのがかすかに聞こえていました。

でも、僕は手を挙げることも、うなずくこともできなくなっていました。
僕は母に「ごめんよ。子供が先に逝くなんて、なんて親不孝な子供なんだろうね。今までありがとう・・・」そう言い残して意識を失ってしまいました。

その時の様子を母がメモしてくれていました

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社会復帰は絶望的

それから2週間ほどは昏睡状態だったため、母や妻から聞いた話を元に書きます。

僕が運ばれた病院は、自宅から車で15分ほどの中規模の町病院でした。搬送後すぐにCT撮影をしましたが、「クモ膜下出血かなぁ~」「ウチの病院では原因が特定できないです。もっと大きな病院だともしかすると原因が分かるかも知れない」とも言われ、より大きな病院への転院を勧められたそうです。

次の病院に搬送されるまで6時間ほど時間が経ったようで、これといった処置をされずに搬送されたことになります。

 

病名判明-脳動静脈奇形破裂(AVM)

「病名がわかりました。これから説明しますので、お母さん、奥さんは診察室にお入りください」と転院先の主治医(後の命の恩人)が言いました。

「結論から言いますと、息子さんは、クモ膜下出血ではありませんでした。」

クモ膜下出血=1番最悪なもの

そう思っていた母と妻だったので、クモ膜下出血でないことを知り、母と妻は少しだけほっとしたようです。

しかし、主治医は間髪いれず
「クモ膜下出血ではありませんでしたが、安心は一切できません。息子さんは脳動静脈奇形破裂による脳幹出血です。脳幹出血は、クモ膜下出血と同等、もしくはそれ以上に危険な病気です」

「命が助かるだけでも幸いだと思ってください。ですから、ベッドから起き上がることはおろか、家に帰ることは、非常に難しいとこになるでしょう。後々は施設での生活になることも想定してください。」

このような絶望的な説明を何度も聞かされたようです。妻は、相当なショックを受けて泣き崩れてしまったそうです。

 

昏睡状態から抜け出すために家族がやってくれたこと

救急車で意識を失ってから意識が戻るまでの数日間の記憶というのはほとんど覚えていません。昏睡状態というのを経験したことが無い人にどんな感じだったかを説明すると、普段寝ている状態に近いです。

ですから夢も見ます。夢といってもお花畑のような楽しいものではなく、つねに悪夢を見ている状態でした。

そして音や声なども聞こえたりします。というのも人間が最後まで残る機能は聴力だそうです。その中でも母や妻が悲しそうな声で「早く元気なってね」と言ってくれたのは覚えていますし、これ以上悲しませてはいけないと頑張ろうと思いました。

ですから昏睡状態なのであれば、耳元で声掛けをして欲しいです。ただ、現在はコロナ禍で面会はできないと思います。本来は直接声をかけて頂くのが良いとは思いますが、今できる最大限のこととして、ボイスレコーダーに「名前を呼びながら励ましの言葉」などをたくさん吹き込んで、看護師さんに聞かせて欲しいと思います。

ボイスレコーダーとイヤホンのリンクを貼っておきます。ただ録音した音声というのは、どうしても言葉の周波数が削られてしまうため、できるだけ品質の良い物を使って欲しいです。

後遺症の重たさは、早期にリハビリ開始できるかどうかに掛かってきます。今後の回復を考えて安い物を使うのではなく、高くとも良い物を使って欲しいと思います。

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妻のお母さんの一言

「一生植物人間かもしれない。そんな人と結婚。どうしたらいいの」

そんな妻に対して、妻のお母さんは、「何言ってるの!婚約を決めた人でしょう!私だったらずっと一緒にいるけどな!」と一喝したそうです。

お母さんは妻が高校生のときに離婚して、スナックのママとして働き、子供二人を育てた人です。苦労して育てたかわいい娘です。しかも僕との出会いは一回だけ。結婚したとしても植物人間のままの可能性が非常に高い状態です。

その後、お母さんの一言で、妻は毎日面会に来てくれました。

リハビリがうまくいかずに喧嘩をすることもありましたが、来てくれるたびに嬉しくて頑張ることができました。それもこれもお母さんの一言のおかげです。お母さんはお見舞いが一番の励みになると知っていてそのように言ってくれたのでしょうか。

真意は分かりませんが、毎日妻はお見舞いに来てくれる度に「こんな自分でも必要とされているんだ。頑張ろう」と。

そう思いながらモチベーションを保ちながら闘病生活を送ることができました。

感謝、感謝です。

 

脳幹出血発症当日の診断説明書

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肺炎、そしてベッドからダイブ

脳幹出血発症から5日後、40度近くの高熱を手続けてしまいます。

医師の診断によると、痰が肺に入ってしまうことによる誤嚥性肺炎を発症しているとのこと。脳卒中を発症すると、僕のように肺炎になる人は少なくないそうです。

ただ、肺炎は、2011年に脳血管疾患を抜いて、日本人の死因の第3位になっています。ただでさえ脳幹出血で死にそうな思いをしたのに、肺炎にかかってしまうという、ダブルの辛さを経験することになったのです。

そしてあまりにもしんどさに、頭がおかしくなりベッドから降りてトイレに行こうとし始めたのです。でも、その当時の僕は左半身が麻痺している状態で、かつ寝たきり状態での生活が続いていたので筋力もだいぶ落ちていました。

ベッドの手すりをよじ登るようにして降りようとしたとき、僕はまるでベッドからダイブするような形で落下してしまったのでした。

「ドスン!」

ものすごい落下音と、人工呼吸器が外れたことにる警告音が鳴り響きました。

異変に気付いた看護師さんが、すぐに走って駆けつけてくれました。

「今後は絶対このようなことはしないこと!」と、厳重注意され、両手両足に体を動かしすぎると警報がなる装置を装着されることとなったのでした。

 

一番苦しかった症状「嚥下障害」

「この病気で一番辛かった症状は何か?」と聞かれたら、間違いなく嚥下障害(えんげしょうがい)だと答えます。

それくらい嚥下障害は辛かったです。

嚥下障害を分かりやすく説明すると、人間は口からは飲食物と呼吸を取り入れることができます。

・呼吸は「口→気管→肺」の順路で進みます。
・飲食は「口→食道→胃」の順路で進みます。

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出典:LIFULL

しかし、嚥下障害が発症すると、飲食が正しいルートで進まずに肺に入ってしまうようになります。呼吸と飲食との切り替え弁がうまく機能しなくなるのです。しかも嚥下障害が発症しているときは、肺に飲食物が入ってもムセることがないのです。

肺に飲食物が入ってしまうと絶対に良くないのはご理解いただけると思いす。そして実際に僕も肺炎にもなってしまいました。僕の場合は飲食物が肺に入ったのが原因ではなく、痰や唾を肺に入れてしまったようです。

ただでさえ脳卒中で苦しい状態なのに40度近くの高熱が続きました。本当に死ぬほどつらかったです。ですが、それでもまだまだこれは序の口です。

本当に一番辛かったことは、嚥下障害が改善するまでの2か月余りの間、口から一切の飲食の制限がかかったことです。これを例えるなら、夏の暑い中、学校のグラウンドを勢いよく走って喉が渇いた状態でも、一切水を飲むことが許されない状況に近いです。

鼻から管を入れて胃に直接栄養を流し込む「流動食」によって、生存はできていましたが、口から飲食ができない状態というの最悪です。常に喉の渇きに苛まれいました。また常に空腹状態でした。

しかも、その時は重症部屋(個室)から離れて、脳卒中患者4人が一緒に過ごす一般病棟に移っていました。僕以外の3人は嚥下障害を患っていなくて、3食の飲食は問題なくできていました。ただ、歩くことができるレベルの人たちではなかったので、ベッドの上で食べていました・・・。

食べ物から放たれるかすかな香りが僕の鼻孔に絡みつき、またガリガリ、くちゃくちゃという咀嚼音が僕の鼓膜をゆさぶります。

向かいのおじさんなんて3時のおやつの時間になると、おもむろに「ポテトチップス」を開け、ボリボリと食べ始めるのです。

まさに生き殺しのようでした。拷問でした。

だいたい2ケ月半ほどで嚥下障害は治まってきまして、ゼリーを食べれるまでになってきました。久しぶりに口から食べたあの食感は今でも忘れることはありません。

では、嚥下障害はどのように改善したのか?についてお話ししたいと思いますが、僕はこの嚥下障害を克服した際に、病気を治す本質にであることができたと考えています。

それは何かと言いますと「気力」です。

「絶対のこの病気(ポテチを食うぞ!)を治すぞ!!」と頭の中で唱えることです。

この気持ちが強ければ強いほど、呼吸するかの如く潜在意識に刷り込むように唱えるように頭のなかで想像することです。そうすることで体内の細胞であったり、脳の神経細胞が活性化されて症状が改善していくのです。

その甲斐あってか嚥下障害は次第におさまってき、自発呼吸も次第にできるようになってきました。同じ要領で、左半身麻痺も改善できましたし、目の視力、歩くこと、走ることまでできるようになりました。

「そんなの嘘だ!」という声が聞こえそうですが、僕はこの「気力」を使って信じて、この病気を乗り越えることができたと実感しております。

僕は「病気をしたのは自分のせい」という記事でも書きましたが、考え方の悪さから脳幹出血を引き寄せてしまったと、身をもって経験しました。だからこそ、この病気を乗り越えるために、絶対に前向きな言葉を言おうと誓いました。

ですから、あなたも「絶対にこの病気を乗り越える!」「俺(私)は、こんなところでくたばるような人間ではない!」と念じてください。

世界的ベストセラーの「思考は現実化する」という本にも、似たようなことが書かれています。日本人はとくに薬といった目に見えるものを信じ、目に見えないものを軽く見てしまう傾向があります。だけど、本当は目に見えないものこそが大切なのです。

 

リハビリ初日に意識が飛んでしまう!

脳幹出血発症してから2ケ月程度は、自発呼吸も弱く、またベッドから起きることすらできなかったためリハビリをすることができませんでした。

そうは言っても何もしないと、完全に麻痺側の手が固まってしまう(痙縮してしまう)ため、リハビリ(PT)の先生が腕の曲げ伸ばしをしてくれていました。

ですが、先ほどの強い気持ちを持ち続けた結果、自発呼吸もだいぶできるようになり、また嚥下障害もだいぶおさまってきたので、リハビリルームでリハビリをすることが決まりました。

主治医からは、「脳卒中で失った機能は、リハビリでしか改善できない」と、言われ続けていたので、僕も家族も「やっとリハビリを始めることができる!」と嬉しく思ったものです。

リハビリ開始当日、僕はリハビリの先生2人に抱きかかえられるようにしてベッドから車いすへ移してくれました。

「さぁ!いくぞ!」と不安と期待を込めながら、いざリハビリルームへ!

しかし、僕はしばらくして意識を失ってしまいます。

どうやら貧血で意識が飛んでしまったようです。座ることすらできないほどに体力が落ちてしまったことに驚きとショックを受けました。

このブログを見ている人の多くは、僕は順風満帆に回復していったと思われているかもしれませんが、実際には順調にものごとは進みませんでした。

そんな状態の僕でもここまで回復することができたのです。回復できた理由は他にも色々ありますが、少なくともスタートラインは遅かったことはご理解いただければ幸いです。

 

麻痺側が動き出した!リハビリのコツを掴む

リハビリの先生が、僕の左腕はほとんど動かなくなっている姿を見て、

「動いている方の手を使って、動かない手や指の曲げ伸ばしをやってみて。そしてその際には脳の神経細胞に叩き込むようにやってね。そして1分でもいいので、1日に何度もこのリハビリをしてね!」

というアドバイスをもらいました。

僕の唯一の長所として、言われたことや教えてもらったことは愚直にやってみるという性質がありまして、リハビリの先生に言われたとおりに、1日に何回もこのアドバイス通りのリハビリをしました。

その結果、少しずつですが指や手が動き始めたのです。本当に嬉しかったです。またさらに同じように1日に何回も自主的なリハビリを行い続けました。その結果はこのようになりました。発症前とまったく変わらないまでに回復することができました。握力もしっかりとあります。

このことからリハビリに特別な方法みたいなのは無く。ただ回復を信じて1回1分でも良いので、それを1日の内に何回も何十回も行うことが回復に繋がることが大切なのです!

有名なリハビリ病院に通わずとも改善しますし、無茶苦茶ハードなリハビリをする必要もありません。隙間時間にコツコツとやるリハビリ、僕は「1分リハビリ」と言っているんですが、これを一日に何度もやってみることが大切なのです!

 

見舞いや面会でやる気スイッチが入る!

脳卒中の入院というのは、本当にある日突然訪れます。まるで刑務所に入ったようで、また本当にこの障害は治るのか?と不安しかなかったです。

そのような状態でも元気と勇気をもらえたのが家族の面会でした。僕が発症したときはコロナとは無関係の時代でしたので、毎日かかさず家族、親戚、友人知人の方が面会に来てくれました。

一番遠いところは海外から来てくれたり、何時間も車を走らせて来てくれた人がいたりと、申し訳ない気持ちと同時と、元気な姿を見せることが一番だと思い、リハビリも気持ちの部分でも頑張ることができました。

そうは言っても今はコロナ禍で多くの病院が面会不可となっていると思います。元脳卒中患者の僕としては、患者もご家族の方も本当にやるせない状況だと思います。

ただもう世の中の流れとしてそうなってしまっている以上、悔やんでばかりいるのはやめて今できる最大限のことをして欲しいと思います。

僕だったらこれしてもらったら嬉しいだろうな~と思えるようなものを考えましたので、参考になさっていただければ幸いです。

✅メッセージ入りの写真

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妻が作ってくれたものになりますが、こういった形があるものというのは、いつでも見返すことができるので常にパワーをもらっていました。

✅お守り

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出典:門戸厄神

神様の力を借りることもとても有効です。この病気を乗り越えるには『運気』も大事だと思います。お守りも目に付くところに置いておきましょう。

✅寄せ書き

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会社のメンバーが作ってくれました。不安に思ったときに何度も見返していました。涙が出しながら見ていました。すごいパワーをもらえました。ありがとう!

 

看護師さんの存在は大きい

入院中、毎日顔を合わせるのは看護師さんです。

脳幹出血を発症したときに自分はどうなってしまうのだろうと大きな不安を抱えていました。どうにもならないとわかっていながら、看護師さんに「僕の病気は治るんですか?」と質問しても、嫌な顔一つせず親切に丁寧に答えてくれました。

僕の場合は、幸いにして看護師さん、そして主治医の先生に恵まれました。とくに毎日顔を合わせる看護師さんの存在は大きかったと思います。

でも看護師さんが冷たくて機械的な対応だったら……。考えるだけでもゾッとしますが、きっと気を遣いながら入院生活をしていたと思いますし、治る病気も治らなかったと思います。

では、どうしたら素晴らしい看護師さんに囲まれて入院生活を送ることができるのでしょうか?

それはしてもらって助かったこと、嬉しかったことの感謝を伝えることです。

検温してくれたら「ありがとう」、食事を運んでくれたら「ありがとう」、話しかけてくれたら「ありがとう」、点滴を変えてくれたら「ありがとう」とありがとうと感謝を伝えることです。

はたからみていても、看護師さんは大変なお仕事をされています。労働時間でいうと早番、遅番、夜勤があったり、汚物処理、暴言を吐く患者や暴れる患者の対応、職場の人間関係など本当に大変なお仕事だと思います。

給与が良いからでは務まらない仕事だと思います。だからこそ「ありがとう」と感謝を伝えてください。僕は気管切開をしていた影響で喋れない時期がありましたが、筆談で「ありがとう」と伝えていました。

そして感謝した気持ちっていうのはメモにとっておくことが良いと思ってます。僕はこのノートをありがとうノートと言ってつけていますが、人間というのは悪いことは根に持つ傾向にありますが、良いことをされた場合は忘れがちになってしまいます。だからこのありがとうノートを定期的に読み直すことで感謝をお忘れなく良好な人間関係を築くことができるのです。

看護師さんも人間です。やはり日頃から感謝をしてくれる患者に対して嫌いになることはできなくなります。「もう少しやってあげよう」という気持ちにもなってくれます。

そうなると入院生活の環境は一気に良くなります。患者も良くしてくれている看護師さんに少しでも良くなった姿を見せて恩返しをしたいと思う様になります。まさに良いスパイラルが始まります。良いことしかありませんよ!

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嫌でもリハビリしてしまう方法

リハビリでやることは何も有名な病院に入院する必要もないし、有名な方法に頼る必要もありません。どこにでもある普通のリハビリで十分です。

そうではなく、一番重要なことは隙間時間を使った自主的なリハビリをたくさんやることです。どんな内容のリハビリをしたら良いのかについては、担当のリハビリの先生に聞いて欲しいのですが、僕は「1分リハビリ」という名のもと、30分毎とか60分毎にこの「1分リハビリ」をやっていました。

「1分リハビリ」は作業興奮を利用したものです。作業興奮とは、一度作業を始めると湧いてくる集中力や意欲のことです。 一般的に、人は作業を開始する前に面倒くささを感じます。 意欲が湧かず、なかなか勉強や仕事に着手できません。 しかし、面倒くさいのを乗り越えて一度作業を始めると、思ったより集中できる場合があるのです。

「分かった。分かった。」でもつい忘れてしまうんだという方もいらっしゃられると思います。大丈夫です。努力嫌いの僕ができた方法をお伝えしますので参考になさってください。

✅リハビリ強制法

1.時間割を作る

手書きで良いのでこの時間はリハビリをする。テレビを見る。昼寝をするなど、1日の時間割を作成してください。これである程度の生活リズムを強制することができます。

2.紙に目標を書く

紙に書いた願望は実現すると言われています。ですから実現したいことを紙に書いて嫌でも目に付くところに貼っておきましょう。見るたびにリハビリをしないといけないという思いになります。

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3.息抜きも大事(メリハリ)

人間の集中力は90分が限界と言われており、休みなく1つのことを続けるのは不可能です。また、それも90分間ずっと集中できるわけではなく、集中力の波は15分周期です。

また長時間やらないといけないというプレッシャーがかかっていると、脳が疲れてしまって余計に集中力が下がり結果も出にくいと言われています。

ですから、テレビを見たり、音楽を聴いたりして疲れをとることも大切です。

 

しゃっくりが止まらない!

脳幹出血を発症して3ヵ月くらいを過ぎた辺りから、一度しゃっくりがでると止まらなくなってしまう症状に悩まされるようになりました。朝にしゃっくりが出ると寝るまでしゃっくりが止まらないのです。

このしゃっくりは目覚めたときには治まっているので、「出るな、出るなよ」という思いで過ごすのですが、たいていの場合には目覚めて数時間の間に出始めてしまうんです。だんだんと精神的にも病んできました。

主治医にも相談しましたが、しゃっくりが後遺症として出る人はあまり見たことがないとのことです。もしかするとこれで治まるかもということで、軽めの精神安定剤を処方されましたが、まったく効果はありませんでした。

しゃっくりが出た時に、水を飲んだり、息を止めたり、お腹に力を入れてみたりと色々試してみましたが、止まることはありませんでした。

そうしているうちに、呼吸法で止めることに成功しました。言葉で表すのは難しいのですが、大きく息を吸って止める。じっとその状態をキープする。ただ止めるのではなく精神を集中しながら息を止めることがコツなんです。

発症から10年以上経っていますが、いまだにこの症状は毎日定期的に出てしまいますが、この呼吸法を使って、とくに不自由なく生活することができています。

ここで言いたいことは、体系立てられたリハビリはなかったとしても諦めない事。症状というのは個別具体的なもので、治す方法や、止める方法というのも実は自分にあった方法を自分なりに探し当てるゲームのようなものなのです。

リハビリの先生から教わるものも効果は見込めますが、結局は自分のことを一番知っているのは自分なので、日頃から自分なりにもっといい方法は無いのかな?と考えながら思考錯誤することが大切なのです!

 

目次:闘病記録

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