闘病記録

【僕が経験した脳の病気②】脳血管撮影検査の合併症で脳梗塞発症

投稿日:2020年5月29日 更新日:

カテーテル血管撮影検査中に脳梗塞を発症!最も恐れていたことが起きてしまった
意識がある中で発症した脳梗塞!その恐怖は想像を絶するものでした

僕は2011年(当時28歳)に脳出血(脳幹出血)を発症しましたが、その原因は、脳幹部分に産まれつき血管の奇形があったようで、その奇形が破裂したことによる脳出血です。

ただ、僕の場合は脳幹出血(延髄出血)でしたので、開頭手術をすることはできませんでした。そのため、カテーテルによる手術が行われました。血管の奇形がある場所までカテーテルを潜らせ、医療用の瞬間接着剤を流し込み、血流を抑える手術をしてもらったのです。

しかし奇形は完全には消え去っておらず、微量ですが現在でも奇形部分に若干の血流が流れ込んでいます。
そのため、一年もしくは半年に一回の頻度で、MRIを用いて奇形部分の血流状態を確認することが必要、ということになりました。

ただ先ほども言いましたが、僕の奇形部分は脳幹にあります。そのためMRIを用いて撮像しても、ぼんやりとしか映らないのです。

 

カテーテル検査の打診

そこで、主治医のドクターから「カテーテル検査をしない?」と提案がありました。

カテーテル検査とは:
脚の付け根部分からカテーテルを挿入し、奇形がみられる脳血管付近までカテーテルを潜り込ませていきます。そしてそこから造影剤を噴射しCTスキャンする検査方法で、MRIやCT、レントゲン検査よりもかなり鮮明に奇形部分の血流状態が把握できるため、非常に精度の高い検査結果が得られるのです。

ただし、このカテーテル検査には「数百回に一回の確率」で、脳梗塞などの合併症を発症するリスクがある、ということについても説明がありました。

もちろんカテーテル検査は強制ではありません。カテーテル検査を拒否してMRIのみの診察でも良いですよ、とも言われていたのですが、まだまだこの先長い将来のためにも一度詳しく様子を見ておこうと判断し、カテーテル検査をお願いすることにしました。

検査前日の晩御飯は、冗談半分で「もしかすると検査でトラブルが発生してしばらく飲食ができなくなるかもしれないね。最高に旨い焼肉でも食べに行こうか!」と妻に言い、高級焼肉店に焼肉を食べに行きました。

この時点では「まさか自分が医療事故に遭ってしまうとは、まさか自分が冗談で言ったことが現実になってしまうとは」なんて全く思ってもいませんでした。

でも、まさかの事故が発生し、僕は「数百回に一回」発生するという脳梗塞を発症してしまったのです。

 

カテーテル検査当日

カテーテル検査当日の話に入ります。カテーテル検査といっても「検査」ですので比較的軽い気持ちで考えていたのですが、完全にドラマに出てくるような手術風景が目の前に広がっています。脚の付け根の動脈からカテーテルを入れるため、万一の際に血が飛び散らないように僕の周りは高さ二メートルほどのビニールで覆われました。

普段お世話になっているドクターは白衣のイメージしかなかったのに、この日は外科医の恰好をしています。しかも外科医二名体制、さらに助手数名……

検査にあたっては麻酔を実施しますが局部麻酔ですので、意識は明晰です。

カテーテル「検査」を気軽に考えていた僕は、目の前に広がるものものしい雰囲気にふれて、検査の恐怖でいっぱいになってしまいました。

もう逃げ出したい気分です。しかも、実際にカテーテル操作をしているのはまだ新米のドクター。主治医にいろいろとアドバイスを受けながら操作しています。

ディスプレイも10台くらい並んでいて、いま僕の身体のどこにカテーテルが入り込んでいるのかも分かります。あまりの緊張で、このときばかりは逃げ出したい、「幽体離脱してでも逃げていきたい」気持ちでいっぱいでした。

検査を開始して十分後。

「今、脳内にカテーテルが入りましたよ」と言う主治医の声がしました。
「僕の脳内にカテーテルが!(冷や汗)」

15分ほどかけて、造影剤を注入してのCTスキャンが行われました。

その時、「上西くーん、もうすぐ検査終わるからねー、今のところ奇形はちゃんと接着されているから大丈夫だよー、最後にもう一発別の角度から造影剤を入れて終わりにするからね~」という主治医の声が聞こえました。
僕は内心「あぁー、もう早く終わってくれー」とつぶやいていました。
ところで、さっきも言いましたが今回の検査でカテーテルを操作しているのは新米のドクターです。


主治医の声が聞こえた次の瞬間、頭に「ピキッ!」という音が鳴り響きました(たしかに鳴り響いた気がしました)。 頭のなかに音が鳴り響いてすぐに、ひどい頭痛を感じはじめました。

術後すぐに、「先生、頭が痛いです!」と主治医に告げました。僕がそう告げると、検査を担当したドクターも、周囲のスタッフも焦り気味になり、少し慌ただしい雰囲気になりました。

頭痛を感じながらも何気なく眼鏡をかけた僕は思わす「えっ、冗談でしょ!?」と口に出してしまいました。
「えっ?これ僕の眼鏡ですか…、全然ぼやけて見えないんですけど…」という状態だったのです。しかも、検査後は病棟に移るはずなのになぜかMRIの部屋に移されました。

MRIが終わってようやく僕の病室に移してもらったのですが、その頃にはもう頭が割れるほどのひどい痛みに襲われていました。
鎮痛剤を飲んで若干マシにはなったんですが、視力がおかしくなっている。ボンヤリとしか見えない、眼鏡をかけているのに「0.01」くらいの視力しかないんです。

その後、僕は別室に呼ばれました。

いつもの主治医が申し訳なさそうに、
「申し訳ない。脳梗塞を発症させてしまった。本当に申し訳ない。」

そのときの診断説明書です

2013年3月12日 カテーテル検査_説明書(脳梗塞発症)

2013年3月12日 カテーテル検査_説明書(脳梗塞発症)

しかも「どれくらい回復するかは様子をみてみないとわからない」って、、、

こう言われたとき、僕はものすごく悔しくて腹立たしい気持ちになりました。
僕の人生どうしてくれるの?視力がはっきりとしない状態で一生過ごさないといけないの?これからの長い人生、僕はどう過ごしていったらいいの?どうしてくれるの?

声にこそ出しませんでしたが、僕は内心そう思いました。とても悔しかったです。別室から病室のベッドに移りましたが、やっぱりまだ頭が痛い。頭痛に苦しんでいると、カテーテル検査を実際に担当した新米ドクターが来て、僕に謝罪しました。

「本当に申し訳ない」

僕は本当に腹が立ちました。正直、ドクターを怒鳴りつけて ぶんなぐりたい気持ちでした。

でもね、もう過ぎてしまったことはどうしようもない。いま僕の命があるのは主治医のおかげだし、新米ドクターもわざとやった訳じゃない。医療の発展には多少の犠牲は必要だと、自分で自分を納得させました。

そして「人を責めるのはやめよう。今日の出来事はまだ未熟な僕に神様が与えてくれた試練なんだ!だからまた僕が頑張って治せばいいんだ!」と、そう心に誓いました。

妻は僕が検査入院中に脳梗塞になってしまったことを知って仕事を途中で早退し、僕の病室に泣きながら飛んで来てくれました。いろいろ話している内に、僕ならまた復活してくれる、と妻も信じてくれたようで、僕の闘病生活を支えてくれると約束してくれました。

 

視力力が落ちたことよりも、さらに重大な障害

「はぁー、また入院生活か~」と落ち込んでいた僕ですが、数時間経つと大分気持ちの整理もできてきました。

僕自身、自分でもすごい性格だと思っているのは「過ぎ去ったことは、あまりクヨクヨしない」というところです。
検査中に脳梗塞を発症してしまったその日の晩であっても、「さて、じゃあどうやって視力を回復させようか」と考えていたくらいですから。ただね、さすがにその晩に血の気を引くような出来事を経験しました。

それは、妻に「今日は来てくれてありがとう!」とメールを打とうとしたときです。普段から触っている携帯の文字が、なにがなんだかまったく分からなくなってしまったんです。

喋ったり、聞いたりすることはできるんですが、文字がまったく読めなくなったのです。ひらがなも読めません、漢字なんてもってのほかです。自分の名前をひらがなで書くことすらできなくなりました。

「今日はありがとう」という文字が、「شكرا لهذا اليوم」というように、アラビア語かなにかのように見えてしまうんです。
これには正直驚きましたし、ショックも受けましたね。たまらなくなって、ナースコールを押して「文字の識別ができない」ことを伝えると、主治医が飛んできて「大丈夫!また頑張ろう!」と背中をさすってくれたのを覚えています。

一晩寝て起きたら文字を思い出せるんじゃないか、と期待しましたが、翌朝になっても症状は改善されません。相変わらず文字が一向に分からないんです。

「これはどうしたものか」と悩みましたが、とりあえず文字を覚えないと何も始まらないので、妻に「絵本」を買ってきてもらいました。すべて「ひらがな」で書かれた絵本です。小学生の低学年の子供達でも読める内容の本なのに、僕は一文字も読めません。こうなると、こんどは読めない自分に段々とイラついてくるんですが、妻が根気よく一文字ずつ教えてくれました。

僕「こ」
妻「それは、『い』やで」
僕「えっ、本当に!?」
僕・妻「あ、い、う、え、お……」
このように一文字ずつ覚えなおしました。

そうすると次第に読めるようになってきました。
すらすら読めるようになるには2週間ほど時間が掛かりましたが、まったく記憶が無くなったと言うよりは、「読むたびに昔の記憶が結びついてきた」感じに近かったと思います。

3週間ほど入院生活を送りましたが、あまりにも入院生活が退屈なので早々に退院させてもらうことにしました。
退院後は図書館に行って、ひたすら本を読みました。退院した時点で小学6年生くらいの漢字まで覚えることができていたので、ビジネス書をメインに読んでいました。

1ヵ月ほどそういった生活を送っていると、ある程度言葉を覚えることができるようになりましたので、職場に戻りました。復帰直後は、普段からお世話になっている先輩の名前を急に忘れてしまったり、言おうとしたことが急に思い出せなくなってしまったりと、高次脳機能障害の症状がでてしまいましたが、仕事が終わってからもコツコツと本を読んで、できる限り脳に刺激を与えることを続けました。結果的には職場復帰から半年後くらいには、元通りにまで回復できたと思っています。

 

失語症には小学生が使うドリルを使っての文字の書き起こしや、音読が良い!

脳梗塞によって右脳の4分の1を損傷し文字の読み書きが一切できなくなりました。自分の名前すら「ひらがな」「漢字」で読むことも書く事もできなくなったのです。

早速家族に、小学生が使うような絵本や漢字ドリルを買ってきてもらい、ずっと勉強をしていました。
とはいっても、この段階では一文字も読むことができませんので、妻立ち合いのもと「あ、い、う、」といったように、一文字ずつ声を出して覚えるようにしました。

5日ほどで、徐々に読めるようになってきました。感覚的には完全に脳内から言葉が消えたのではなく、リハビリをするたびに過去の記憶と結びついていったというイメージに近いものがあります。

絵本が読めるようになってからは、小学生が勉強する漢字ドリルを買ってきてもらい、暇があれば病室のベッドの上で書き写しました。

僕はこの文字の書き写しが、一番効果があったと思います。というのも、文字の書き起こしは、目、手、指、顏、空間認識といったように、たくさんの神経を同時に使うことができるからです。