第一章:闘病記録

【僕が経験した1回目の脳の病気】脳動静脈奇形破裂による脳幹出血

投稿日:2020年5月27日 更新日:

2011年1月20日

僕、上西信也は大阪府在住の27歳。
システムエンジニアとして、営業からシステムの設計、プログラミングをしながら忙しくも充実した日々を過ごしていました。ちょうどその頃、2年ほど付き合った彼女(以降妻)と結婚することを決め、結婚式場探しをしていました。

そして、いくつかの式場を巡ったうち、大阪の難波にある結婚式場が、立地も条件も良かったので大安の日で仮予約をしました。その日は遅くなったので、ファミレスで夕食をとり、結婚式に向けて誰を呼ぼうか、ドレスやお花、料理はどのグレードにしようか。なんておそらく歴代の結婚式をあげてきた人たちと同じような会話をしていたと思います。

けれども、僕たちは計画通りいかなくなってしまったのです。なぜなら、その会話が終わった6時間後に、僕は脳動静脈奇形破裂(AVM)による脳幹出血を発症してしまうからです。

 

脳幹出血発症

帰宅するとすでに日付は変わっていました。翌日から仕事でしたが、結婚式の仮予約をしたあとでしたので、若干興奮状態にあり簡単には寝れそうにないなと感じていたので、睡眠薬代わりに赤ワインを飲んで寝ようと考えました。

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何口か飲んでいるうちに良い感じに眠気が出てきました。

「ふぁー。これで今日もぐっすりと寝むれそうだぁ。」

そう思ったとき、急に風邪のような倦怠感がでてきました。

ですが、ちょうどその時は1月だったので「寒い中をずっと歩いていたから風邪でも引いたのかな?」と、特に心配することなく再度ベッドに入りました。

しかし、容体は分刻みで悪くなっていきます。そしてついには、吐き気もしてきたので、ベッドから降りてトイレに行こうとするんですが、平衡感覚がなくなったのか、壁伝いにしか歩けなくなっていたのです。

「これは悪酒にあたってしまったな」と赤ワインを飲んだことを後悔しました。

その後やっとの思いでトイレに辿り着きますが、とくに嘔吐することもなかったので、再度ベッドに入ります。

ですが、体調はさらに悪化していき、うだされるようになってきます。そして夢なのか覚醒してしまったのかわかりませんが「斧を持った死神が僕を切りつけたのです!」

「ズバッ!」

その瞬間、体に雷が落ちたような衝撃が走り、手足が硬直し始めました(まるで感電しているような感覚でした)。

一瞬でこれはただ事ではない!ことを察しました。幸い当時は、実家暮らしでしたので、隣の部屋にいる母に携帯で助けを求めます。

母が眠たい目をこすりながら「どうしたの?」と聞き、僕は「ただ事ではない、すぐに救急車を呼んで!」と母に伝えます。

母は訳も分からず、救急車を呼んでくれました。十分ほどすると遠くの方から、救急車のサイレンの音が聞こえ始めます。

ダダダダダっと救急隊員が入ってきて、「どうしたのですか?大丈夫ですか?」と話かけてくれます。

僕は「いや、ちょっと赤ワインを飲んでから・・・」と伝えようとするのですが、すでに呂律が回っていなくて何を喋っているのか伝わりません。

すると、救急隊員は慣れた手つきで僕の後頭部を触り「おそらく脳出血ですね。すぐに搬送します」と一言。

僕はその一言で、一瞬にして頭が真っ白になってしまいました。

夢であって欲しい、夢であって欲しいと願いますが、残念ながら夢ではありません。

 

脳が壊れていく

もうこの時点で、僕の体は僕の意志通りに動かなくなっていました。少しでも腕を動かそうとするなら、天井めがけて腕が上がってしまったり。足も自分の意思とは違う方向に動いてしまうのです。

歩くことはおろか、立ち上がることすらできなくなっていました。しかたなく、救急隊員に、抱き抱えられるように担架に乗せてもらいます。

救急車に乗せられる前にちょうど夜空がぱっと見えました。

「あー、この星空を見ることができるのもこれで最後か・・・」と悲しくなったのを覚えています。

救急車に乗せられるやいなや、酸素マスクを口に当てられました。搬送先の病院はすでに決まっていたようで、すぐにサイレンを鳴らして走り始めます。車が走るたびに揺れますが、その揺れが僕の脳をさらに壊していきます。

突如、ダンプカーに踏まれたかのような強烈な頭痛が僕を襲いました。そして、心臓が破裂するほど鼓動しはじめ、目もグルグルと回りはじめました。さらに体が燃えるように熱くなってきます。酸素マスクを当てられているはずなのに、ぜんぜん酸素を吸うこともできなくなり意識が遠のいてきました。

救急隊員にもう駄目だと目で合図を送ると、ペンライトを目に当てて瞳孔を確認しはじめました。医療機器があちこちで警告音を発しているのが聞こえます。

「もう限界だ。これ以上は持たない・・・」

ふと隣を見ると、悲痛なまなざしで母が僕を見ていて、僕の手を握り締めながら、「信也!信也!信也!」と名前を言っているのがかすかに聞こえていました。

でも、僕は手を挙げることも、うなずくこともできなくなっていました。
僕は母に「ごめんよ。子供が先に逝くなんて、なんて親不孝な子供なんだろうね。今までありがとう・・・」そう言い残して意識を失ってしまいました。

その時の様子を母がメモしてくれていました

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社会復帰は絶望的

それから2週間ほどは昏睡状態だったため、母や妻から聞いた話を元に書きます。

僕が運ばれた病院は隣町の中規模の町病院。CT画像検査の結果、クモ膜下出血との診断をされたようです。それと同時に「ウチの病院では処置できない」とも言われ、より大きな病院への転院を勧められたそうです。

結局、発症から6時間ほどは何も処置できずにいたことになります。また病院から病院へ救急車に乗って転院です。

 

病名判明-脳動静脈奇形破裂(AVM)

「病名がわかりました。これから説明しますので、お母さん、奥さんは診察室にお入りください」と転院先の主治医(後の命の恩人)が言いました。

「結論から言いますと、息子さんは、クモ膜下出血ではありませんでした。」

クモ膜下出血=1番最悪なもの

そう思っていた母と妻だったので、クモ膜下出血でないことを知り、母と妻は少しだけほっとしたようです。

しかし、主治医は間髪いれず
「クモ膜下出血ではありませんでしたが、安心は一切できません。息子さんは脳動静脈奇形破裂による脳幹出血です。脳幹出血は、クモ膜下出血と同等、もしくはそれ以上に危険な病気です」

「命が助かるだけでも幸いだと思ってください。ですから、ベッドから起き上がることはおろか、家に帰ることは、非常に難しいとこになるでしょう。後々は施設での生活になることも想定してください。」

このような絶望的な説明を何度も聞かされたようです。妻は、相当なショックを受けて泣き崩れてしまったそうです。

 

妻のお母さんの一言

「一生植物人間かもしれない。そんな人と結婚。どうしたらいいの」

そんな妻に対して、妻のお母さんは、「何言ってるの!婚約を決めた人でしょう!私だったらずっと一緒にいるけどな!」と一喝したそうです。

お母さんは妻が高校生のときに離婚して、スナックのママとして働き、子供二人を育てた人です。苦労して育てたかわいい娘です。しかも僕との出会いは一回だけ。結婚したとしても植物人間のままの可能性が非常に高い状態です。

その後、お母さんの一言で、妻は毎日面会に来てくれました。

リハビリがうまくいかずに喧嘩をすることもありましたが、来てくれるたびに嬉しくて頑張ることができました。それもこれもお母さんの一言のおかげです。お母さんはお見舞いが一番の励みになると知っていて、だからそのように言ったのでしょうか。

真意は語ってくれませんが、本当に助かりました。

 

脳幹出血発症当日の診断説明書

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肺炎、そしてベッドからダイブ

脳幹出血発症から5日後、40度近くの高熱を手続けてしまいます。

医師の診断によると、痰が肺に入ってしまうことによる誤嚥性肺炎を発症しているとのこと。脳卒中を発症すると、僕のように肺炎になる人は少なくないそうです。

ただ、肺炎は、2011年に脳血管疾患を抜いて、日本人の死因の第3位になっています。ただでさえ脳幹出血で死にそうな思いをしたのに、肺炎にかかってしまうという、ダブルの辛さを経験することになったのです。

そしてあまりにもしんどさに、頭がおかしくなりベッドから降りてトイレに行こうとし始めたのです。
その当時の僕は左半身が麻痺している状態で、かつ寝たきり状態での生活が続いていたので、筋力もだいぶ落ちていました。

ベッドの手すりをよじ登るようにして降りようとしたとき、僕はまるでベッドからダイブするような形で落下してしまったのでした。

「ドスン!」

ものすごい落下音と、人工呼吸器が外れたことにる警告音が鳴り響きました。

異変に気付いた看護師さんが、すぐに走って駆けつけてくれました。

「今後は絶対このようなことはしないこと!」と、厳重注意され、両手両足に体を動かしすぎると警報がなる装置を装着されることとなったのでした。

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